精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

なぜ特定の人への仕事の集中が無くならないのか?

繁忙期が終わろうかという最中、遂に身体にガタが来て、体調を壊す人が出始めた。それ自体は、その人だって人間なので、何も不思議な話ではない。

 

問題は、その人達に過度な集中が圧しかかっていた結果、それを周りに再分配することにより、繁忙期が意図せずして延長戦になったということである。

 

こんなことを言うと、「キツくても周りを頼るなってことか!!」という言葉が反射的に飛んできそうだが、そこじゃなく、もっと根っこの部分に、僕はツッコミたい。

 

一人がダウンしたことにより、周りが疲弊するレベルで仕事が割り振られることがそもそも歪ではないかと思うのだ。

 

つまり、特定の人に仕事が集中し過ぎなのだ。属人的な仕事が行き過ぎて、そのまま爆発した際の最悪の状況が、今まさに目の前に現れている。

 

もっともその人は、心は元気で身体に不調が出たタイプなので、長期離脱する感じではないのだが、これが心となったら数ヶ月単位の離脱となる。

 

仮にそうなると、多分残った社員たちでそれを支え切ることは、少なくとも労働基準法を守りながら達成することは不可能だと僕は感じている。

 

良いことの様に聞こえて、極めてハイリスクな状況。なぜ特定の人への仕事の集中が無くならないのか?今日はこれについて考えたい。

 

 

過度な集中は、崩壊の予兆。

 

ザっと様々な事例を検索してみたが、「特定の人に仕事が集中している」状態を是とする記事は、ほぼ発見できなかった

 

それどころか、その状況はその人、ひいては組織そのものの崩壊の予兆であり、そこから目を逸らすことは絶対にダメだという意見が大半であった。

 

過度な仕事の集中は、その人が壊れるか、組織の士気が失われるかの2つに1つであり、特にその人が急に抜けた後の悪影響が、あまりにも甚大だと。

 

ネットで書かれるような混沌さは今のところ見られないが、その影響が決して小さくないことは、今目の前で起きていることを見ていても分かる。

 

とはいえ、だからといって人を増やすことには、それもまたあまりにもリスクが大きい。例えば人件費、労基、待遇、管理、等々。

 

つまりその解決策はめんどくさいので、頑張る人をご飯に連れて行ったり、お金を上げたりしてご機嫌を取り、ほっかむりをして問題が過ぎ去るのを待つ、と。

 

そんなものはもはやただの延命措置に過ぎず、すなわちいずれ崩壊することは明白だと書く人もいた。そしてそれには、僕も激しく同意する。

 

この状況になった以上、その人に圧しのかる仕事を適切に再分配するか、あるいはいっそ事業変更をして解決をするかは、マネージャーの仕事なのだという。

 

そしてそういう状況を招くパターンはざっくり2つであり、マネージャーが人員配置に無関心か、当人の頑張りたいという思いをそのまま鵜呑みにするか、らしい。

 

人間である以上、無理をすればいずれ折れる。それは自明だ。だからこそ、そうならないよう祈るのはただの宝くじと同じで、すなわち運ゲーだ。

 

運に任せないために、適切に管理する人と仕事が必要。今回のケースで言えば、これは僕より上の人が考えるべきことなので、あまり深入りする気はない。

 

しかし僕もまた、自分自身を含め、どこかに局所的に仕事を依存していないか、改めて観察する必要があるのではないか

 

とりあえずこの夏は、かくいう僕が僕自身を酷使し過ぎている。その結果、最近マネジメント的な方へ意識をほとんど回せていない。

 

僕の仕事は、もっとシステム的に仕事を処理する方法を考えたり、仕事そのものを減らしたりすることだ。効率的に組織を回すことにもっと頭を使わねば。

 

「次に入院するのは俺だろうな」と僕は今、冗談で言っている。しかしこの状況が続けば、いずれそうなるだろうという確信も混ざっている。

 

歪みは気付いたら直さなければならない。そんな当たり前のことを見つめ直す好機だと、今は解釈を改めておくことにしよう。

 

では今日はこの辺で。

 

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