精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

イベントを楽しむ側から創る側に移行する歳になりました。

昨日、不思議な夢を見た。夢の中で僕は、過去卒塾していった生徒たちを集めて、何かパーティーのようなものを開いていたのだ。

 

場所は体育館のようなところで、そこで元塾生たちはロシアンシュークリームをやっていたり、合唱をやっていたりする。なんと平和で賑やかな光景だろう。

 

カラシ入りのそれを食べて悶絶する生徒と、それを見て大爆笑の取り巻き。いじめのような陰惨さはなく、参加者全員が笑顔に包まれている、そんな素敵な夢だった。

 

その後場面は移り変わり、僕はその参加者たちと一緒に、駅かどこかを目指して海沿いの道を歩いていた。時刻は夕暮れ時であり、その情景もまた一興である。

 

僕は先頭ではなく列の最後尾にいて、軽やかに歩きながら、「たのしかったね~」と言い合っているその後姿を、ただ眺めていたという感じの夢だった。

 

・・目が覚めると、時刻はまだAM4:00とかそこら。普段ならすぐに寝落ちする時刻なのだが、不思議と目がぱっちりと覚めたので、少しだけ夢の内容を反芻した。

 

ヒグラシのもの悲しい鳴き声を聞きながら、その夢の記憶をたどる。そこに込められた意味を考察する。そんな時間を10分くらい過ごし、そして僕は、悟った。

 

「あー、俺もついに、イベントを楽しむ側から創る側に移行する歳になりましたナァ。」

 

今日はそんなお話である。

 

 

僕がイベントに感じていた矛盾。

 

実を言うと、いわゆる交流イベントといったものに、僕はここ数年ある疑念を感じていた。それは、自分が参加したら周りの人が楽しめないのでは、というものだ。

 

例えば僕は今31歳であり、大学生講師は20歳前後くらいの年齢である。自分がそのくらいの年齢だったときに、10個も上の人と一緒にそれこそBBQがしたかったか?

 

そう自問すると、はっきりと否だということを自覚する。そしておそらく、それはみんなも同じだ。どうすれば一緒に楽しめるかという問いは、そもそも無意味では、と。

 

そうはいっても、繋がりを生む必要は絶対にある。コミュニティについて学べば学ぶほど、こういう生身の、温かみのある繋がりの重要さが際立つのも感じていた。

 

この相反する状況に、一体どう折り合いをつけるか。この疑問の答えについて、直接的なヒントになっているのが、先述のだ。

 

その夢の中では、参加者である生徒たちは、すごく楽しそうにしていた。そしてその姿を遠巻きに見ていた僕は、すごく満足していた。

 

つまり、全員が幸福の中にいたのだ。置かれている立場も、状況も、共有する文化も何もかもが違うのに、一つの集団として、全体が楽しいという雰囲気に包まれる。

 

ここまで考えて、気が付いた。こういう集いには、創る楽しみと、参加する楽しみがあるのだ、と。そしてそのどちらを選んでも、優劣は無いのだ、と。

 

自分の置かれている状況(年齢とか関係性とか)によって、どちら側から参加した方が満足度が増すかが変化する。正直、ただそれだけの話ではないかと思えてきた。

 

このことを思うと、具体的な例が頭に浮かぶ。それは「祭り」だ。祭りは何も、参加者だけが創り上げているものではない。

 

その裏では、会場を押さえ、区画整備し、日取りを決めて、宣伝をし、何をするかを計画し、練り上げている人たちがいる。

 

楽しむ人の裏では、創っている人たちがいて、その人達はその人達で、犠牲になっているわけではなく、それによって満足を得ている。そう思うと、腑に落ちた。

 

僕はもう、参加者側ではない。創る側の年齢だし価値観なのだ。そしてそれについて、悲愴感どころか、むしろ自分の仕事はそっちだという納得感を覚えている。

 

僕はもう、僕自身”が”大学生と繋がるというより、大学生同士が繋がってネットワークを作り、コミュニティの密度を高める場を設計する方に頭を使うべきなのだ。

 

というより、元々内向的な性格ゆえパーティー的なイベントが、僕自身押しなべて苦手なのを忘れていた。

 

それでいて、例えば内村さまぁ~ずのような緩くて楽しい企画を作ることは好きという点も、自覚している。自分が輝く場は、矛盾の裏にあったのか。

 

僕はこれから、イベントに参加することから軸足を抜く。そうではなく参加した人が楽しいと思えるイベントを創ることに楽しみを見出したい。

 

去年僕が掲げた独立という夢に、また一つ繋がる発見だった。全ての道はローマに通ずって、あれは個人的な話にも当てはまるのかもな。

 

じゃ、今日はこの辺で。