先日、少しヒヤヒヤする出来事があった。低学年の子が校舎に来るや否や、明らかに不機嫌であり、モノに当たるような行動が見えたのだ。
送迎に来ていた保護者の人が気にかけていたが、その後は本当に大変だった。校舎を駆け回り、机に両手を突いて跳ねて、こけて頭を打って泣いて、椅子にぐでんと脱力。
とてもわかり易い癇癪であり、このままだと校舎の備品が壊れるか、その生徒が怪我をするかの2つに1つだと思ったので、そのまますぐにお家へ連絡、帰宅の流れとなった。
本当にヒヤヒヤした。だが、ヒヤヒヤするのはなぜかというと、具体的に自分の中に手が無いから、というのに他ならない。
今回はたまたま他に生徒がいなかったので、例えば八つ当たりが飛ぶとか、「なにあの子・・」という白い目で見られるとか、そういうことは無くて済んだ。
しかし低学年もまた顧客としている以上、こういう癇癪というものは、避けては通れぬ道ではないかと、改めて覚悟が決まる思いがした。
ということで今日は、癇癪もとい子どもの感情が爆発した際にすべきことについて調べてわかったことを、だらだらとまとめていく次第である。
最悪手一覧。
持論というより一般論だと思うのだが、基本的に成功論には再現性がなく、ただその一方で、失敗論にはこの上なく再現性があると思う。
だからまず、いわゆる最悪手、つまり癇癪を起こしている子供に絶対やってはいけないことを調べてみることにした。
すると、いわゆる短絡的に閃く行動や思考は、もれなくNG(火に油を注ぎ倒す)ことになると、異口同音に指摘されていた。
例えば、もっとデカい声で感情的に叱るとか、どこか声や動作に攻撃性を帯びた状態で接するとか、こちらの圧でコントロールしようとするとか・・・・。
その全てが、感情が爆発している状態だと悉く機能しないのだという。結果、関係は悪化し、もっと激しく暴れ、周囲の目は一層冷たくなり・・・
目も当てられない。ちなみに癇癪の中には、壁に頭を打ち付けるといった自傷行為も含まれると、このとき初めて知った。
―ひっくるめれば、癇癪が起きた時点で、即効性のある方法はもう存在しないと覚悟を決めた方が、心構えとして正しそうだ。
だからここからの話は、癇癪が起きた後の話ももちろん書くが、そもそもそれを起こさせないような取り決めの話などをメインに、引き続きまとめていく。
癇癪が起きた!―さて、どうする?
まずはシステム面の話について。癇癪を起こすとものを投げる子がいるのなら、そもそも手に取って投げたくなるようなグッズを片っ端から仕舞うのが始まりだ。
あるいは特定の音が嫌いで仕方が無いのなら、なるべくそれの原因となるものを、そうじゃないものに置き換えていくのもまた一手である。
その子の行為をぢっと観察し、トリガーになる要因を一つずつ、”可能な範囲で”排除していく。まずはこれをやったか、やっていないかだ。環境はとても大事なのである。
―他はもう、完全に長期戦だ。事前に、感情が高ぶった際にやること(クールダウンの術)を一緒に考えて決めておく、逃避のための場所を用意しておく、等々。
安全の確保を最優先課題として、本人が成長し、精神が落ち着くのをただただ、見守る。究極、何もしないことが、唯一できる何かなのだ。なんか、諦めがついた。
尚、ここでいう安全の確保とは、肉体に傷がつくことだけではなく、人から煙たがれることを避けるという意味も含まれている。
本人も自分の気持ちを理解できていないがため、暴れるしか手段が無いのだ。落ち着いてから話を聞くと、結構本当に困っている旨を吐くこともあるから驚く。
僕ら大人だって、あの時なぜあの感情になり、あんな判断をしたのか、時間が経った後に言葉にできないことなどたくさんあるわけで。
子どもなら、なおのこと無理はない。だから、代わりに言葉にしてあげる。ただしそれは、怪我をしないように配慮しながら、落ち着くまで見守った後の話だ。
―時折、完全な無音で子どもに習い事をさせろという要望が来て、困り果てるという質問をネット上で散見する。そのジレンマは、猛烈に共感できる。
実を言うと、私塾だとそれは不可能ではない。入り口でちょっとでも多動や気分屋の兆候が出たら、その場でお断わりすればいいからだ。
あるいは、「低学年ゆえ、時折賑やかになる場面はあります」と事前に伝えて、同意を得ておくのも一手だ。
ここまで周到に蜘蛛の巣みたいな繋がりを用意して初めて、平穏があるのか、それともないのか。
それはこれから見極めていきたいところである。にしても、親になることはとっくに諦めている僕なのに、親としての心構えを学ばざるを得ないとは、なんと皮肉だろう。
自分の子供がいるとかいないとか関係なく、【保護者】とはどうあるべきか、それは常に問われ続けるテーマなのだと感じている。
では今日はこの辺で。