僕自身、【観察力の鍛え方】をきっかけとして、自分に魔法の如く作用するバイアスについては、そこそこ学んできたつもりであった。
しかし相変わらず感情に振り回されやすく、躁鬱かというくらい乱高下するメンタルを、また御し切れていない。多分それが完成する前に、僕は寿命を迎えるだろう。
それについてアドバイスや学びを求めていくと、その答えは決まって同じで、「まずは汝自身を知れ」というところに尽きるのだ。
全ての始まりは、自分自身をしっかり認知することにある。ここでいう認知とは、自分にどんなバイアスが掛かっているかをキャッチすることも含む。
そんなことをたまたま調べていくと、大量のバイアスが紹介されたまとめ記事に行き当たり、ひそかに興奮を覚える程である。
僕は今、色々あってメンタルが激烈に疲労している。それが癒されるというのなら、もはや手段は何でもいい。手間も惜しまない。
今日はそれをモチベーションにした、バイアスのまとめである。
”ぼく”を捻じ曲げるもの。
バイアスとは本来無意識下の心の動きであり、簡単に言えば「思い込み」とでも言えようか。これはあるのが普通のものなので、消そうとするのはちょっと違う。
大事なのは利用すること、つまり使いこなすことであり、そのためには、自分の感情をジャックしやすいそれを理解し、認知する確率を高めることに尽きる、とあった。
ということで参考にしたのがこの記事だ。
この記事を、目を皿にして読みながら、自分にとって「あるある」のバイアスをひたすら並べていく。
せっかくなので、↑の記事で紹介されていた「ゆがみ」の中で、僕が特に「あるある」と感じたものを列挙する。
1.個人化
なんでも自分のせいだと考える思考。
例:「自分のミスで仕事が上手くいかなかった!」
2.外部化
なんでも他人や環境のせいだと考える思考。
例:「親の育て方が悪かったせいだ!」
3.読心
他人が思ってそうなことを勝手に推測。
例:「この人はわたしを嫌っている!」
4.ラベリング
他人や自分にレッテルを貼る思考。
例:「俺はバカだ!」「あいつは最低だ!」
6.すべき思考
自分で決めたルールに縛られまくる状態。
例:「誰にでも優しくしなければ!」
7.永久思考
いまの問題が永久に続くと考えてしまう状態。
例:「自分はそういう人間なのだ!」
9.否定的な予言
根拠もなしにネガティブな予想をしてしまう。
例:「どうせ上手く行かない!」
11.破局化
つねに最悪な予想をしてしまう状態。
例:「仕事でミスった!もうクビだ!」
16.過小評価
自分のしたことを必要以上に低く見積もってしまう。
例:「東大を出たけどハーバード出身にくらべたら大したことない!」
19.高すぎる基準
失敗をふせぐためには完璧であらねばならないと思い込む状態。
例:「もっと努力をしなければミスを犯してしまう!」
20.社会的な拒絶への過剰反応
ちょっとした相手の反応にビビりまくる状態。
例:「会話中にアクビされた!嫌われてる!」
25.処理能力を低く見積もる
自分のトラブルを処理する能力を過剰に低く考えてしまう状態。
例:「どうせ俺なんかコミュ障だ!」
28.感情を行動の原因ととらえる
人が行動する原因には必ず感情がともなっているという思考法。
例:「もっとやる気があれば仕事が進むのに!」
29.感情を判断の基礎に使う
自分の気分をもとに客観的な状況を判断する。
例:「この部屋に入ったら気分が悪くなった!霊がいる!」
39.時間の見積もりバイアス
タスクが終わる時間の長さを過小評価する傾向。
例:「これぐらいなら明日までに終わるな…」
つまり僕に発動しやすいバイアスを全て乱暴にまとめると、以下のようなストーリーが立ち上る。
目の前の出来事や課題に対し、ペルソナの自分や他人、環境、に割り振ることで手いっぱいで、実は真正面から向き合っていない。
周りにはいつでも、悪意に満ちているというレッテルが貼られた他人が存在し、彼らはいつでも僕に対し敵意を持っていることが前提という印象をぬぐえない。
そんな敵だらけの社会でも、それが変わることは無いのだから、甘んじて最低値を受け入れて、擦過傷だらけになりながら、生きていかなければならない。
期待なんてクソ食らえ。未来は僕が思いうる中でも最も悪いシナリオを辿り、自分の努力は本当に秀でた人たちに比べれば取るに足りない総量に過ぎない。
自分に課す基準は高ければ高いほど良いと、学校で12年以上も習ってきた。100点のためには、他人から発される「ダメ」に敏感でなければならない。
自分に対する期待は常に最低値を取っておく方が、リスクヘッジができる。感情すら御してナンボなのだから、それもしっかり観察し、決断・判断に活かしていく。
目の前の物事はなるべくすぐに解決させなければならないし、そうあるべきである。そうならないとしたら、僕の怠慢なのだ。
という風に。僕は寝ているときと酩酊しているとき以外、上記の認知の歪みが入れ替わり立ち代わり自分を支配しているのに等しいのだ。
・・・こうして文字にしてしまえば気付くのにな。僕のこの病的な思考のヤバさとバカバカしさが。
これら全てを剥ぎ取ったところに、僕の真我が体育座りをしているのだろうか。もしそうだとしたら、1日に何回かしか、彼を目にする機会が無いということになる。
バイアスに理由はない。それは本能だからだ。できることはバイアスに気付くこと。まずはそれでいい。無駄に抵抗しない。バイアス下の自分を観察する。
自分を今支配しているのは、どのバイアスなのか。それを理解し観察するだけでも、気持ち穏やかになっていく。
有意義な時間だったと、そう思う。
では今日はこの辺で。