年度切り替えの時期となり、各々が自分の建てた目標や、組織としての目標を検証し、今後を考えるタイミングが来た。
数値だけなら対昨で超えているところもあるのだが、僕はあまりそれをみて喜べない。気付くのが遅かったのだが、利益率が悪いコンテンツに依存した数値だからだ。
つまり、利益で見たら、あまりにもぱっとしないのである。そしてそれに頭を使えたかというと、我ながら、使えていない。
この前期の個人的な反省の最たるものは、利益率が高いコンテンツを埋めなかったこと。これに尽きる。
とりあえず社内での発表の前に、一旦ここで反省点と今後のテコ入れを書いておこうと思う。
利益率の高さの裏に隠れる、リーダーによる地道な導線。
インフルエンサーと呼ばれる人たちがやるイベントは、人間一人に対し、あまりにも多くの人たちが集まり、しかもそのコミュニティは自然拡大する。
その爆発力を目の当たりにすると、人はその世界を目指したいと思う。だからその人の言葉を丁寧に追う。僕も正直、そういう節がある。
だが、そういった上澄みに当たる部分だけ見ることには、そこまで深い意味は無いのではないかと、最近感じ始めている。
もっと言えば、頑張れば面白い未来が待ってるから、今は地道なことを頑張れという指標程度に、成功体験の一例は解釈する方が良いのではないか。そう思うのだ。
確かに、学園祭や体育祭を楽しいという人は多いが、その裏に隠れた生徒たちの静と動の努力を知る者は少ないのと、大変よく似ている。
さて。僕が夢から覚めてきっかけとなったのは、以下の二冊を読んだことが大きい。華々しい成果の裏にある、血の匂いがする努力と導線と失敗と屈辱。
その下には地道にコツコツと積み重ねられた努力があり、笑われたり貶されたりした悲しい記憶があり……
その上でのあの盛況なのだなと、華やかなイベントに抱く感想が、大きくぐらついたのをまざまざと感じている。
”コツコツ”の意味を過大評価することなかれ。
しかし、彼らの膨大な努力について、一つ勘違いしてはいけないことがあるのにも気づいている。それは時間軸についてだ。
例えばバットの素振りを5000回したという人がいるとしよう。それだけ聞いたら凄そうに聞こえるが、これが実際のところ、1年間の累計だったらどうだろう。
すなわち1日平均14回なので、すごいというよりむしろ、全然頑張ってねーじゃんという評価の方が、良くも悪くも正当なのだ。
これは、大きなイベントを成功させる人達においても同じだ。彼らの時間軸をよくよく聞いたり読んだりしていくと、最短でも数ヶ月なのである。
その状況を「時間を味方にする」と書いていた人もいたが、それは本当に言い得て妙である。
僕もつくづく感じるが、大抵の努力が空ぶったり大変だったりするのは、単に時間が無いからだともいえる。
時間があれば、たくさんの努力が打てる。僕らはそれを、インタビューや本という、圧縮された時間や行間で知る。だから錯覚してしまうのだ。
適当に言うが、もしも広報活動を滅茶苦茶頑張ったというラインが、ポスティング1000件を1ヶ月で回った、という数値だったらどうか。
仮にこれを半月で達成しようとするのは、非現実的だとわかる。できなくて当然、そして一歩踏み出せなくて当然なのだ。
それを念頭に置けば、数値をもっと健全にみられるし、逆に今すぐ打つ手はいつに利かせるのかという目測も正せる。
「やろう!」と決めたら、それに即効性を期待しない。3か月後に利かせる手を今打つのだと思えば、勝手に目線が変わっていく。
今まで目先のことしか終えなかった僕が、その未来に打った手が芽吹くまでに感じるジレンマや冷たいまなざしは、脱皮のための成長痛なんだと感じるしかない。
反省したのなら改善あるのみだ。12月に塾として好ましい状況に持っていくためには、今、何ができるのか。例えばその問いから始めてみようと思う。
では今日はこの辺で。