「共有」は本当に難しいと思う。僕がするのも、チームで行うのも、本当に難しい。あの得もしれない嫌な感じ。しかし、してもらわねば困るというジレンマ。
こんなにも「なんかよくわからんけど嫌」という得体のしれない感情を抱くのが、あらゆる事項の共有だとしたら。
そこまで思ったところで、僕はある仮説を考えるようになっている。それは、「共有」を阻んでるのは、つまり何かしらのバイアスじゃないのか、と。
人間の脳機能の奥深く、原始的な情動を司る部分に残るショートカットコマンド、あるいはエラー。それらのことをバイアスと呼ぶのだが、その1つに、これはあるのでは?
であれば、「いや、開けっ広げにする!!」と何億回唱えても、それこそ、「いや、熱いもんは熱いから脊髄反射する!」のと同じレベルなので、根性論の対処は不可能だ。
例えばバイアスが発動しないように解釈を誤魔化したり、あるいはそれを自然と行えるようなシステム・仕組みを設計したり・・。そういう話の方がまだ建設的だ。
だから、本当のところはどうなのか。ヒントは既に誰かが見つけているのではないか。そう思って、諸々調べてみたのが、今日の記事である。
【共有阻止バイアス】ってあるの?ないの?
まず当たり前だが、「共有阻止バイアス」なんて謎のバイアスそのものは、存在しないようであった。―しかし、要素要素が似ているそれらは、散見することができた。
例えば、【心理的リアクタンス】。これは、「やれ」と言われたらやりたくなくなる、いうなればアダルトチルドレン的な思考だと言える。
「共有しろ!」と言われると、反射的に「やだっ!」と思うのが本能。それくらい何とかしろと言いたい気持ちはあるが、バイアスの1つならば、仕方ないとも思う。
もう一つ面白いと思ったのは、【透明性の錯覚】だ。これは、僕があやふやな理解で言葉に起こすより、サイトに載せられた文言を紹介した方が圧倒的にわかり易い。
自分の考えていることや感じていることが、実際以上に他者に伝わっていると考える傾向を透明性の錯覚と言います。
つまり、本来ならば他者からは見えないはずの自分の内的経験が、他者に見抜かれている程度を過大評価していると言えます。
このような透明性の錯覚は、本人が隠そうと思っていない内容であっても、同じように生じます。
これはすごく面白い認知の歪みだと思う。そして同時に、「あぁ、俺もそうかも・・」という感想も抱いた。
例えば僕は、頭の中では、色んな計画を考えている(つもりだ)。しかしそれは、他者からは感じ取れない。つまり僕は何もしてないに等しい。
だからこそ、「はよせいや」と突かれる。そんな突かれ方をすると、【心理的リアクタンス】が発動し、途端にそうしたくなくなる。
この2つが組み合わさっていると考えるだけで、「共有」が阻害される原因が論理的にすっきりと理解できる気がする。本当にそうかは知らないが、納得はすごくする。
僕らはやれと言われたことはしたくないし、自分の胸の内は実は誰にも伝わってないのだ。この前提を理解すること。まずはそこからなんだなと、改めて思う。
皆でオープンにすることをどう設計するか。
ではこれらを踏まえたうえで、「共有」をどう促していくのか。それについてはもう、直接的な強制という手段を使わず、強制していくしかない。
そんな矛盾していることができるのか。実は不可能ではない。例えば同調圧力を発生させるのも一手だろう。
例えば、チームメンバー全員に日報の提出を促す。提出が無ければ指摘する。あるいは、現在提出率は○%というメッセージだけ投下し、やんわりと焚きつける。
共有のツールは口頭での伝達ゲームだけでなくて良い。開けっ広げな、それこそGoogleスプレッドシートのようなものを用いて、リアルタイムで共有しても面白い。
―あるいは、そもそも研修などの場で、「バイアス」によって認知や行動が歪められるという観点を教え込むのも一手だと思える。
あなたのせいではないし、新しい手段はその心地悪さを打開するための一助なんだ。
そんなメッセージを発し続けて、粘り強く雰囲気を広めていくのが、やはり王道なのだろう。
終わりに:まず何から始めるか?
まずは僕が僕のバイアスを打ち破る努力をする。そうやって知見を溜める。結局そこから始めるのが最短ルートだ。
齋藤一人氏も、「いきなり人にやれというのはオオバカヤロウ」と指摘するように、まずは自分が変わることが、何事もすべての第一歩。それは頭で納得している。
だから何度も自分に刷り込む。したくないのはバイアスのせい。みんなわかってくれないのは当たり前。じゃあどうする?発信するしかないよね。一つずつ、納得させる。
「構ってちゃん」だと嘲笑されて上等だ。それくらいスケルトンな自分になって初めて、他人から僕という何かを理解されるのなら、それこそ本望だ。
つまりまず、僕から始める。なんか漢文の一つみたいになったが、その決意をもって今日はオシマイとする。