最近、仕事に追われることが増えている。別の部署からの命令で早出をしたら、また別の部署の会議が夜遅くに入り、結果労働時間が増える、という風に。
そうして自分が使える時間が削られる中で、振られる仕事は日増しに増えており、ギリギリ処理はしきれているが、それが長いこと続けられる気はしていない。
人間不思議なもので、時間が無ければないほど仔細が気になり、何故かクオリティにこだわりたくなる。何かしらのバイアスだろうが、それを調べる時間さえ、ない。
そんな風に勝手に精神的な負担を感じるとき、意識的に思い出すようにしている言葉がある。それは、多動力の一節、「手作り弁当より冷凍食品の方がウマい」、だ。
この言葉の表面的なところを曲解すると、毎日弁当を手作りする奴はアホという風に聞こえるが、本質はそんなところになんてない。
むしろ要領がいい人からすれば当たり前の話なのだが、忙しいとすっぽりと忘れてしまう。そんな類の教えなのだ。
今日はそんなことを、自戒を込めつつ書いてみる。
時には100点じゃなくて70点を取ろう。
僕自身何度も痛感することだが、自分にとって100点のモノと、70点のモノは、顧客や他の社員からすれば、区別がつかないほどどうでも良いことが本当に多い。
例えばこないだ実験として、案内文の文面をChat-GPTに書いてもらい、チョチョイと推敲しただけのものを会議に提出してみた。
日頃はイチから自分で書いているため2~30分は平気で食われる作業なのだが、このときの所要時間は10分も無い。
だからさすがに手抜きだろと指摘されるかと思ったが、そんなことは一切なく、本当にいつも通りか、それ以上に波風立てず、それは会議を通過してしまった。
このとき思ったものだ。やっぱ世の中、巧遅拙速だな、と。完成度が高いものは、それはそれで素晴らしいけど、70点のモノを早く用意することもまた尊いな、と。
時間が無かったり身体がしんどかったりするときに、オーバースペックを追求して時間と体力を更に絞るのは愚の骨頂。
時には割り切って、バレない程度に手を抜くことも大事。もっと言えば、全てが100点でなければならないという思考を捨てよ、という話なのだろう。
死ぬほど乱暴な話だが、美味しいチャーハンを食べようと思ったら、自分の技能を鍛えることの他に、レストランに行っても良いが、冷食のそれもかなりおいしいわけで。
それによって浮いた時間とお金を使い、また別のプロジェクトなり余暇なりを回す。そうすることで、同時にたくさんの仕事を回すことができるようになるのだ。
そもそも、巧遅拙速でプロトタイプをさっさと出して、フィードバックを貰って即修正した方がクオリティが上がるという指摘も、方々で聞くことである。
実際、自分なりに100点の出来の書類を仕上げて上司に提出したら、コンセプトが全く間違っていると指摘され、イチから作り直しになるなんて辛い話もある。
ということで7割程度の”概案”を作って、とっととコメントを貰う方が、事故も防げて質も上がるというケースも、現実社会ではよく聞く話である。
それらを踏まえても、全てで100点を目指そうとハチマキを締めるのは、実はリスキー極まりないことなんだなと、本当に思わされる。
全てが100点でなければ受からない中学・高校・大学がどこにも無いように、全てが100点で無ければ許されない場面なんてのも、そうそう無い。
多忙に囚われると、そういう当たり前のことすら見失う。そのバイアスを解除するのにうってつけな格言だと思う。
では今日はこの辺で。