精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【英文読書ルーティン日記143】"THE GREAT UNKNOWN"読書感想ブログⅥ ~極小の世界へようこそ~

誰もが答えを知らない世界は、子供が問うような純朴な質問の先にあるような気がする。

 

「サイコロの目を完全に予測することはできないの?」「物をどんどん半分に、小さく切っていったら、どうなるの?」その問いの答えを、どんな英知もまだ持っていない。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

好奇心を殺されないまま大人になることはすごく大切だと思う。しかし、その先に待つ謎を解き明かすのは、解けないまま死ぬことになる可能性が高いくらい、難しい。

 

問いを持ち続け、なぜを大事にする。その先に広がる世界の奥深さと怖さを、この本は教えてくれると感じている。

 

ではまた、今週も読んでいきましょう。

 

 

9月11日(月) 無限のランダム

 

ピタゴラスが封印しようとした無理数という存在は、その後さまざまな問題を考える場合において、やはり必要だということが周知され始めたという。

 

もちろんただの近似値で良いことも多いのだが、厳密に解を与えようと思うと、√2とかπとか書かないと、どうしても解けない問題。そういうのは実際に多々存在する。

 

しかもその性質は、奇妙奇天烈の極みとも呼べるほど無茶苦茶であり、小数点以下の数が無限に、しかもランダムに続く

 

厳密な一点という定義を頑なに拒むかのような数。古代の人はこういうところに、神と悪魔、どちらの存在を感じたのだろうか。

 

9月12日(火) ゼノンのパラドックス

 

無限を考えた際、ただの頓智にも思えるのだが、ある有名なパラドックスがある。それは、ゼノンのパラドックスというものだ。

 

「ゼノンのパラドックス」で次に有名なのは、「飛んでいる矢は止まっている」というものである。

 

これは、「飛んでいる矢は、いつの時点でもその瞬間は止まっている。いつの時点でもその瞬間に止まっているならば, いつも止まっているわけだから、矢は止まっていて動かない。」

 

というものである。

www.nli-research.co.jp

 

―これはどういうことか。飛んでいる矢を超高感度カメラで撮影すると、超膨大な「静止画」がたくさん撮影できることとなる。

 

その瞬間瞬間では、矢は静止している。これすなわち静止状態の積み重ねなのだから、つまり飛んでいる矢は静止しているという、頭が痛くなる話なのだ。

 

ちなみにこのパラドックスは、微積分の定義で回避できるそうだが、僕にはチンプンカンプンであった。

 

興味と素養がある人は読んでみて、ナルホド!と思っていただきたい。

 

これに対する明確な回答を得るには、微分積分の考え方が生まれてくるまでの時間を要している。

 

即ち、「瞬間」という言葉の意味するところが重要であり、これが「0」を意味しているのであれば、まさしく「0」からは「0」にしかならないということになってしまう。

 

実は「瞬間」というのを、「極めて短い時間Δtを想定して、このΔtを限りなく0に近づけた極限」として定義することにより、飛んでいる矢は、「各瞬間において、いわゆる速度を有しており、動いている」ということになる。

 

これにより、時間とともに矢は飛んでいく、ことになる。

www.nli-research.co.jp

 

9月13日(水) 原子にハーモニーを聴いた者。

 

今でこそ当たり前のように教科書に書いてあり、覚えないとテストで点が貰えない、周期表というものがある。

 

モノは連続した一つではなく、バラバラの原子や分子でできていることが突き止められて以来、人々はその一つ一つを探し求めるようになった。

 

ある日それら目の前にを並べて、狂愛的にそれに囚われた人がいた。それこそ、ドミトリー・メンデレーエフである。

 

そんな彼が夢で見たものが、原子がその性質に則って規則正しく配列された表、つまり周期表のアイデアなのだそうだ。

 

実際、過去にも類似のアイデアを提示した人はいたという。

 

ただしそのときは、「原子にハーモニーがあるとかw今度はアルファベット順に並べたとか言うんだろw」とあしらわれたそうだ。

 

しかしメンデレーエフは、未知の原子の存在と性質を予言し、そして後世がそれを発見して追認するという証拠に恵まれた

 

「宇宙創成」で読んだパラダイムシフトの流れは、原子を取りまく世界でも起きていたようである。

 

9月14日(木) パラダイムシフトを見られなかった者

 

物事をミクロのミクロまで見ていくと、一つ一つが完全に分離した原子や分子の世界となる。僕ら人間も、徹底的に分解すれば、水素や炭素、リンとかなのだ。

 

当然、初めはそんなアイデアなど受け入れられるわけがない。特に保守的な色が強い国や学会ならなおさらだ。

 

実際、初めてそのアイデアを提出した人は、嘲笑を通り越して虐めに近い扱いを受け、「お前のアイデアなんか学会誌に載せられねぇよw」とさえ言われたそうである。

 

それに深く傷つき、一説には鬱状態にまで陥った彼は、妻子が余暇を楽しむ裏でひっそりと、自分の首を括ったと伝えられている。

 

そんな彼のアイデアを追認する発見が成されつつあることを知らないままに・・・。

 

歴史とは残酷な面もある。だからこそストーリーとして魅力的な面もある。相反するからこそ、惹かれるところがあるのかもしれない。

 

9月15日(金) 微粒のダンス

 

ミクロなスケールの世界は、確実に存在する。そのことに気付いた人は、水に浮かぶ花粉を観察していて、それに気づいたそうだ。

ja.wikipedia.org

 

しかし花粉は有機物であり、生命があるが故の不規則な運動なのだとしたら、別に問題ではなく、「そらそうだよね」で終わりである。

 

ただ、同様のアトランダムなダンスは、炭の粒という無機物でも観察された。このことから、何が微粒なものが、別の微粒なものに影響を与えているのは明白である。

 

大体の発見や着眼は、セレンディピティの産物。それはこの世界の規模でも同じなのかと、舌を巻く心持である。

 

9月16日(土) 微粒は躍る

 

アインシュタインにより、微粒な物質でも、大きな物質に対して影響を与えることは十分あり得ることが示唆された。(ただし規模は天文学のレベル)

 

その示唆をひっくり返せば、花粉といった粒子がアトランダムな動きをする理由の仮説も立つ。目に見えない更に極小の存在があり、それが干渉しているのではないか、と。

 

カーリングのストーンが連鎖し次々とぶつかっていくと、その軌跡はさながらブラウン運動によるそれとそっくりになる。

 

あれがミクロの世界で起きている。それこそがあのランダムな軌道の裏にある話なのだとしたら。そう思うと、僕の心もなんか躍る。

 

極小や、太古の時代の化石と言った目に見えないし見ることも不可能な世界は、なんであんなに心を揺さぶってくれるんだろう。本当にそう思う。

 

9月17日(日) パラダイムシフトのファンファーレは嘲笑。

 

自分には理解の及ばない前提の実験結果から、原子という目に見えない存在は、さらに小さな何かを含んでいることが示唆された。

 

そう提唱した研究者を待っていたのは、賞賛の対極、嘲笑と誹謗である。パラダイムシフトのファンファーレは、もはやこれなのではと思えるほど、歴史は繰り返している。

 

コペルニクスは無視された。ガリレオは断罪された。そんな風に、時代を先駆けたり、常識に反していたりする説は、好意をもって迎えられることは、ほぼ無い。

 

【宇宙創成】にも書いてあったが、本当のパラダイムシフトの完成は、旧体制が全員あの世に行くことをもって成されるという話もある。

 

ブラックユーモアに聞こえるが、こういう身も蓋も無いことが、案外人間社会や科学、文化の発展の神髄に近いのかもしれない。

 

―ということで今日はこの辺で。

 

 

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