小3の頃、僕はどうにも我慢できなくなって、親に頼み込んで顕微鏡を買ってもらった。3000円くらいのチープなヤツ。
何を我慢できなくなったか。それは教科書には書かれているし、NHKのドキュメンタリーでは見れるのに、肉眼で見えない微小な世界と生物の存在を垣間見ることだ。
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アオミドロ、ゾウリムシ、ミジンコ、そして家の畳に居たよくわからないダニ的な何か。その一つ一つでプレパラートを作り、拡大して、覗き込んだ。
そのときの興奮はまだ覚えている。だからこそ、カオスの次はミクロの世界に入ったことは、願ったり叶ったり、という感じだ。
時に難解な理屈や理論が登場して面食らうこともあるが、それが腹落ちしたときの快感は大きい。そんな読書感想ブログ、今週も書いていこう。
- 9月18日(月) 「ここにいるよ」
- 9月19日(火) 「これを創ったのは誰だ?」
- 9月20日(水) 粒子動物園
- 9月21日(木) 刹那の先
- 9月22日(金) 数学≒物理説。
- 9月23日(土) 直感の3割は間違い。
- 9月24日(日) ニワトリ卵≒スウガク物理
9月18日(月) 「ここにいるよ」
ラザフォードの実験(らざふぉーどのじっけん)とは? 意味や使い方 - コトバンク
極めて小さな世界、存在の発見は、どんなことが端緒になったのか。それは意外でも何でもないのだが、偶然の産物ということになるようだ。
実験でやっていることが難解であるため僕の理解を完全に超えているのだが、ラザフォードという研究者が行った実験で、不可思議な挙動をする粒子があったのだという。
その不可思議さを「ティッシュに大砲を打ったら跳ね返ってきた」と表現するくらい、そのインパクトはすごいものだったそうだ。
―それを例外として切り捨てても良いと言えば良いのだが、逆にそれが起こるためには、どんな状況や状態が考えられるかを、彼は考えたそうだ。
結果、さらに極小の何かが存在して、それが干渉した結果ではないかと、彼は仮定したそうだ。そしてそれは後世のテストに委ねられる、と・・・。
極小の世界からのメッセージは、普通そうとは到底思えないくらい暗号化されて、日常世界に発信されているのだろうか。
僕らの世界は暗号に満ちているのだろうか。そう思うと、気が遠くなる心持がする。
9月19日(火) 「これを創ったのは誰だ?」
ミクロの世界には、まだまだ不可思議な現象や存在が多い。発見した科学者が、「こんなん用意したのは誰だ?」と独り言つほど、意味不明なものも然りだ。
その一つが、僕にはもう何を言っているのかさっぱりわからなかった「ミュー粒子」である。ポケモンのミュウと関係があるのだろうか。
説明を引用してもチンプンカンプンで、これが理解できるのは本物の理系か厨二病ではないかと思えてくる。
ミュオン(μ)は、電子(e)と同じレプトン(軽粒子)の仲間に属 し、いろいろな点で電子と同じ性質を持っています。
+の電荷をもつ粒子と、-の電荷をもつ粒子の2種類である。 スピンは1/2で、フェルミ粒子である。 電磁相互作用と弱い相互作用をするが、強い相互作用(核力)は感じない。
ここまで読み進めて初めて、この本を読み切る前に挫折するかもしれないという怖い予感を得始めている。いやはや、大丈夫かな・・・。
カオス理論や確率の不思議さは理解できたが、原子といった物理学の中でもワケワカメな領域は、ちょっと難しすぎるんだけどな。
また軌道が修正されることを、願って止まない。
9月20日(水) 粒子動物園
ミューだのなんだのの発見以来、森羅万象を構成するつぶつぶの発見は相次ぎ、さながら動物園の如く、その種類は増加していったという。
ある科学者は、「粒子を見つけたくらいでノーベル賞と賞金がでるなんて、ノーベル側からしたら罰金みたいなもんじゃね?」という旨のコメントさえ残すほどである。
僕らの世界は、どこまで分割ができるのだろうか。これも突き詰めれば、無限だのカオスだのといった領域に簡単に突っ込むばかりに、謎は深まるばかりである。
僕の肉体だって煎じ詰めれば粒子。そう思うと、むず痒いような、とはいえ到底信じられないからこそ現実味がないような、そんな不思議な気持ちになる。
9月21日(木) 刹那の先
ある程度ビッグバン理論について齧ったことがある人なら、【超絶短時間の間に、めっちゃ宇宙が拡大した】みたいな話を聞いたことがあると思う。
その時間軸は、もはや感知不可能とかそういう次元ではない小ささであり、例えばとある分子が、安定から崩壊に転じる時間は、10の-24乗だという。
算数の教科書にまず間違いなく載っている、小さな数の単位。大きな数たる無量大数は超えることがほぼ不可能なのだが、先の小さい数は、以下の最小単位より小さいのだ。
分 ぶ 0.1(10-1) 厘 りん 0.01(10-2) 毛 もう 100(10-3) 糸 し 1000(10-4) 忽 こつ 10000(10-5) 微 び 10-6 繊 せん 10-7 沙 しゃ 10-8 塵 じん 10-9 挨 あい/td> 10-10 渺 びょう 10-11 漠 ばく 10-12 模糊 もこ 10-13 逡巡 しゅんじゅん 10-14 須臾 しゅゆ 10-15 瞬息 しゅんそく 10-16 弾指 だんし 10-17 刹那 せつな 10-18 六徳 りっとく 10-19 虚 きょ 10-20 空 くう 10-21 清 せい 10-22 浄 じょう 10-23
ミクロは大きさをどこまでも小さくした果てだ。速さにもまた、どこまでも小さくした果てがあるという話。
現実の物理法則に、そんなのがあることが、ただただ驚きである。
9月22日(金) 数学≒物理説。
原子の性質をマッピングして繋げていくと、ある図形が浮かび上がってくることに気付いた人がいる。それは平行四辺形だ。
となれば、平行四辺形の四点に当たる何かは必ず存在するはずであり、それが見つかっていない原子も、目星を付ければその部分が見つかるはずだ。
―という風に、数学的なアプローチが物理学に転用されるようになったのだという。これについて、学者からの意見は様々だ。
「なるほど!目からうろこ!」という人もいれば、「数学は物理の道具だよw道具に従って物理を考えてどうすんのw」という人もいた。
しかしどちらの方が、解釈として正しいのか。その結果は、その後まもなく浮き彫りになっていくのであった。
9月23日(土) 直感の3割は間違い。
直感の7割は正しいという言葉がある。裏を返せば、直感の3割は間違っているということだ。往々にしてパラダイムシフトは、この3割の話になるような気がしている。
先の例だと、原子のパターンを数学的解釈(つまり図形)に当てはめれば、こういう性質の何かが発見されるはずだという論が出てくるのは、別に不思議でもなんでもない。
しかしそれが、既存の常識とは全くと言っていいほど合わない、あまりにも奇天烈な性質だったら、さてどうか。
「あるわけないじゃんww」と思うのが自然だろう。しかしそれが、あったのだ。直感が論理に劣った瞬間というより、論理の強さを学ぶべき一例だと思うけど。
数学と物理のリンクについては、【素数の音楽】にも書かれていた。ここにある種の美しさや快感を覚える人は、きっと研究者向きなんだろうなと、僕はそう納得する。
9月24日(日) ニワトリ卵≒スウガク物理
物理による観測が行き詰ったとき、それを数学のモデルに当てはめると、見逃している未知の存在が予言されることがある。そしてそれは、割と的中する。
「発見されたものの性質を平行四辺形的なモデルに当てはめると、ぴったり一致する。だからここにはこんな性質のなんかがあるはずやで」という風に。
そこを重点的に観測すると、物理学的に重大な発見が待っている。そんな例がいくつもあるのを見ると、ニワトリ卵に代わる別の言葉を想起する。
スウガク物理。数学が先か、物理が先か。このことを突き止めようとするのも野暮なくらい、2つは密接にリンクしているのかもしれないけど。
―ということで今日はこの辺で。