精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

サイコパス性が高い(客観視がとても上手い)人って皆、ゲーミフィケーションスキルが高いよね。

別ブログに長文記事を投稿してからもずっと、客観視について考え続けている。全てを自分事として受け止めないとはどういうことか。その問いの答えに繋がるからだ。

 

だからそれが得意という印象を僕が持つ人の言葉を何度も読んで、配信を聞いて、その思考の共通点を考えてきた。例えばひろゆき氏もそうだし、佐渡島庸平氏もそうだ。


そして最近、それに関してまたあることに気が付いた。彼らは押しなべて、ゲーミフィケーションスキルが高いのだ

 

だからその一端を言語化して、自分に移植できる点があれば、そうしたいと思った。今日はそんな、自由研究めいたことの報告である。

 

 

ゲーミフィケーションとは、好奇心の対象を確認するプロセスである。


とはいえ、ゲーミフィケーションとは定義がなかなかに難しい言葉だ。わかるようで、よくわからない。だからChatGPTに尋ねてみた。

 

ゲーミフィケーションは、

 

一般的な活動やプロセスにゲームの要素やデザインを組み込むことで、

 

ユーザーエンゲージメントやモチベーションを向上させるアプローチです。

 

―端的な答えに思えるが、下線部の「ゲームの要素やデザインを組み込む」ことの意味が腑に落ちない。だから少し突っ込んでみると、納得の回答が返ってきた。

 

「ゲームの要素やデザインを組み込む」とは、通常の活動やプロセスに、ゲームから借りた要素やデザインパターンを取り入れることを指します

 

これにより、ユーザーエンゲージメント、モチベーション、学習、競争意欲などを促進することができます。以下に、具体的な要素やデザインの例を解説します。

 

ポイントと報酬システム:

 

ポイントを獲得し、それに応じて報酬を受け取るシステムは、ゲーミフィケーションの典型的な要素です。

 

ユーザーが特定の行動を行うたびにポイントを獲得し、これらのポイントを使って賞品、バッジ、ランキングなどの報酬を得ることができます。

 

これは競争心を刺激し、モチベーションを高めます。

 

ランキングと競争:

 

ユーザー同士を競わせるランキングやリーダーボードを導入することがあります。

 

これにより、誰が最も優れたパフォーマンスを発揮できるかを示し、競争心を刺激します。

 

ランキング上位に入ることが報酬や誇りにつながる場合もあります。

 

ストーリーテリング:

 

ゲームの要素としてストーリーテリングを取り入れることがあります。

 

ユーザーは物語に没頭し、プロットの進行に伴ってタスクを達成しながらストーリーを進めることができます。

 

バッジと実績:

 

ユーザーが特定の目標を達成するたびにバッジや実績を獲得できる仕組みがあります。これは達成感を高め、ユーザーが継続的に取り組む動機づけになります。

 

挑戦とクイズ:

 

ゲーム内のクイズや挑戦課題を組み込むことで、ユーザーが知識をテストし、新しいスキルを身につける刺激となります。

 

仮想通貨と経済システム:

 

仮想通貨を使用してアイテムを購入し、取引を行う仮想経済システムを構築することがあります。これはゲーム内での成長や進化を支援します。

 

ゲーミフィケーションは、これらの要素やデザインを通じて、ユーザーが目標を達成し、楽しむことを奨励します。

 

これにより、教育、健康、ビジネス、エンターテイメントなどのさまざまな分野で、ユーザーの参加度や成果を向上させる手段として活用されています。

 

このChatGPTに「お金2.0」や「大きな嘘の木の下で」を読ませた人がいるのだろうかと思えるほど、この2冊に書いてあった話がうまくミックスされている。

 

そしてこれを読んで変えようと思えたのが、自分への問いかけの質だ。自問の質をゲームっぽいものに変えれば、自答の内容も変わってくる。

 

例えば最近、「顧客とのやり取りは、遊戯王と将棋を混ぜて2で割った感じだな」と思うようになっている。

 

将棋と同じく、自分が持っている知識やスキル、経験値を駒として使いながら、お互いに交代しながら手を指していく。展開は、序盤・中盤・終盤それぞれで変わるのだ。

 

しかし将棋と違い、その駒の種類は膨大で、かつ一つ一つの強さはプレイヤーによって変化する。山札に何を入れるか選べて、強さも違う。まさに遊戯王的な話だ。

 

そして心理学や交渉術を身に着けてその場に臨めば、言い回しや問いかけなどのリバースカードをセットすることができ、展開を有利にすることもできる

 

相手にNoを言わせにくくするテクニックや、大きい依頼を断らせて踏み込むフットインザドアとかが、その好例ではなかろうか。

 

ただし遊戯王と違って、最終的にどう相手を押し切るかという【詰め】には、決まり切った公式のようなものが存在し、基本どれかに着地する

 

だからこそ、ミックスしている気分になるのだ。そしてゲームという舞台を勝手に想定すると、基本的に個人攻撃という解釈が消える

 

「ブルーアイズホワイトドラゴンを召喚するということは、バーストストリームで俺を吹き飛ばしたいほど俺のことが嫌いなのか」なんて病気なことを思うアホはいない。

 

それと同じで、「お、質問攻めというカードを切ってきたな、じゃあ、オウム返しを発動!」という風に解釈すれば、クレーマーの問答も少しはマシになる。

 

もちろん相手が「恐喝・暴力・弁護士をチラつかせる・土下座の強要」といった禁止カードレベルの手を使ってくれば、更に大きな枠組みのルールで、相手がシバかれる

 

例えば面談の場で僕がぶん殴られたら、それを裁判に持っていけばいっちょ上がりだし、そもそも職場に内容証明を送りつけてもほぼケリがつく。

 

人生はRPGだ、というフレーズがあるが、人生はすごろくだし、同時にカードゲームでもあるのだ。

 

一つ一つのイベントに対し、「あのゲームのこの展開に似ているな」と思えるように、久しぶりに色んなゲームにハマってみようかと、そんなことを考えている。

 

では今日はこの辺で。

 

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