精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

ストレスにイライラするのはむしろ健全であり、不健全なのはそれに追い詰められることだ。

今日はちょっとした、解説っぽい記事を書いてみる。

 

突然なんなんだという話だが、ストレスが溜まるような出来事に遭遇した時、それに対してイライラすることと、追い詰められることは、まるで違うと最近考えている

 

実際、基本的に皆さんがストレスを感じる場面、特に顧客や生徒、子どもの言動に対してのレスポンスには、スルーを除けば主に2つの反応があると思う。

 

1つはイライラすることで、これが一般的な反応だろう。もう1つはその言動によって深く傷つき、追い詰められること、いわば心が弱ってしまうということである。

 

いきなり結論から言うと、腹が立つようなイベントに対しては素直にイライラした方が、はるかにマシだ。何なら健全だ。

 

むしろ自分で抱え込むぐらいなら、いっそその人や発言を、自分の中で完全な悪者に仕立て上げて、心の中で見下すか、あるいは哀れむ方がよっぽどいい

 

今日はそんなお話である。

 

 

性善説、やめませんか?

 

念押しするが、一番良くないのは他人の言動を、自分を追い詰めるような解釈や観点から受信してしまうことである。

 

特に過剰な譲歩を引き出すのが得意な悪質クレーマーや、単純にその界隈で一番嫌われている人々は、他者を追い詰めるのが非常に上手だ。

 

愛されキャラの素質をかなぐり捨てた代わりに、人々から蛇蝎の如く嫌われる才能を持っている人たち。尊敬はしないが、そんなギフテッドだと、僕は思っている。

 

こういった人々は、自分の立場を最大限に利用し、かつどのように接すれば相手を追い詰められるかを、皮膚感覚でよく知っている

 

たとえば、責任感の強い人には、抽象論で質問攻めし、ひたすら謝らせて、それによって自尊心を折っていく、という風に・

 

羨ましくないけど、それはすごい才能だと思う。そのため、運悪くそういったタイプの人に粘着されると、いずれ被害者が自分を追い詰め始めるのは自明である。

 

だからどうすべきかという話なのだが、背負い込んでへしゃげてしまうくらいなら、いっそその人との関係を自分から破壊すれば良い、となる。これは公私関係ない話だ。

 

例えば、面倒くさくて嫌われている人は、自覚の有無は知らないが、得てして周りから冷たい目で見られている

 

そして、その嫌われ者とあなたが仲良くしていた場合、あなたもめんどくさい人だと、周囲からは思われるリスクがある。

 

嫌われ者に好かれたとき、あなたも世間一般的に言う嫌われ者にカテゴライズされるという、笑えない皮肉。これが面倒な奴らと友好を深めた末路なんて、悲惨すぎる。

 

だから、もうめんどくさくて仕方ない人には素直に、「お前ムカつくんだよね」という雰囲気をバシバシ発信した方が、確実にメンタルが安定する

 

しかし、それはメンタル強者の論理だとも認める。だから、僕らはその境地に達するため、もういくつかのステップが必要だ。

 

まずその第一は、人から嫌われたり、拒絶されたりすることって、意外とダメージがないのを実感することだと考えている。続いてはそんなお話だ。

 

スズメバチに学ぶ、「わかってたら怖くない」

 

知っていると知らないとでは、身の処し方がまるで違う。このことを腑に落とす一助となる、面白い一例がある。それは、スズメバチの話だ。

 

スズメバチは、万一刺されたら激痛を伴いながら下手すれば死ぬという、あまりにもデンジャラスなイメージが強いが、実は積極的に刺すのはメスだけなのだ。

 

なんなら、オスには毒針がない。だから、オスであれば触っても、噛まれる可能性はあるが、ヤバい毒針で刺されるリスクは無い。

www.iph.pref.hokkaido.jp

 

そう考えれば、無条件に抱いたスズメバチ全体への恐怖はいくばくか和らぎ、「こいつオスじゃん、なら無害じゃね?」と思える余地も生まれてくるわけで。

 

同じように、面倒な人間関係も、情報をしっかり仕入れたうえで、昆虫の生態を観察するように向き合えば、目の前のアホは何タイプの生き物かを考える余裕に繋がる

 

例えば、クレーマーや嫌われ者は、残念ながらそういう生態なので、まともに相手をするだけ時間の無駄と考える。適当に平謝りして、心の中でアッカンベーだ。

 

そもそも、面倒なヤツはもはや、霊長類ヒト科ホモサピエンスとして考えない方がいいかもしれない。ヒトモドキみたいな和名を勝手につけて、下に見ても良いのでは?

 

他にも、一般論で自分の責任を逃れて攻めてくる人がいたら、その人は責任を回避しながらマウントが取りたくないだけだとラベリング(仮定)する。

 

本当にそういうタイプなら、「それはあなたの意見ですよね?」と念押しすると逃げるので、そういうボールを投げて確認してみる、と。

 

ガチで手強いタイプなら、「そうです。なぜなら・・」と事前準備がしっかりできていて、かつ議論もできる人なので、人として向き合えば良いと思うわけで。

 

月並みな結論だが、やはり大切なものや重要なものを見極めて、しっかりと切り分けていくことは、本当に大切だ。

 

まともに接した結果追い詰められて辛くなるぐらいなら、その人をぜひ、嫌いになろう。嫌いになって、堂々と見下そう。

 

その方が結局、ストレスなく過ごせる。最近、そう考えている次第だ。日本には2022年の時点で、1億2494万7千人が住んでいる。

 

仮に10人から嫌われても、あと1億2494万6千9百9十人の可能性がそこにはあるのだ。苦しいときは、より大きな共同体の声を聞くようにしましょう。

 

それでは、今日はこの辺で。

 

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