精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「まずはとりあえずやってみる」ってのは子どもの論理などではなく、立派な成功法則である。

皆さんは、好奇心が強いだろうか。大体のことが平均未満という風に自己評価が低い僕だが、好奇心は多分強い方だと自負するくらい、これについてはちょっと自信がある。

 

そんな僕が最近特に思うこと。それは、「まずはとりあえずやってみる」ことの価値を、皆さん過小評価していませんか、という疑問だ。

 

とりあえずやってみるヤツなんてのは思慮が浅い子供であり、つまりアホの子であり、幼稚なことだ!そんな印象があるのではなかろうか。

 

これについては思い切り間違っていると、たくさんの人が本や講演会を通じて口を酸っぱくして語ってくれている。

 

勉強する人は多いのに、それを実際に行動に移す人は少ない。そう苦言を呈している人は、本当に多い。

 

だがそれが大多数なら、逆に言えば即座に行動できるマインドを学んで、それを自分に取り入れれば、競争の中で優れた存在にパッと移行できる可能性がある。

 

今日はそれをテーマに、思うことを書いてみよう。

 

 

なぜとりあえずやってみれないのか?

 

では、なぜ行動できないのかという話からしていこう。ただ、その前にまず念押ししておきたいのだが、率直に言って、僕自身もちゃんと行動が遅い方だ。

 

頭の中でいろいろなことをシミュレーションして、ある程度見通しを立ててからじゃないと、絶対行動したくないと思うことが、よくある。

 

もちろん10年前に比べればずいぶんマシになったが、頭の中で考えてこんでしまう癖はまだまだ完治には程遠い。

 

少しはマシにしたいと考えて、結構自分の中で検証したり勉強したりして、その理由をずっと考えてみたのが、結局それは2つの原因に落ち着くと、今は結論付けている。

 

その2つとは、義務教育下の長い洗脳と、フラクタル構造という概念を知らないことにあると思う。順番に説明しよう。

 

まず、義務教育下の長い洗脳とは、失敗すれば全てが終わるという考え方だ。閉鎖的なコミュニティにおいては、特にこれが根深く刷り込まれる可能性が高い。

 

これは仕方のない面もあるが、例えば90点を取ったとしても、その素晴らしい結果より、どうして100点にできなかったのかを気にする人が多い。

 

基本的にテストでは高い点を取れば取るほどトクをするわけで、指導する側も、それに向けたアドバイスを当然することになる。となれば、失敗がすごく、嫌になる

 

しかし社会に出てみると、テストのようなルールで全てを考えることは難しい場面がとても多い。頭で考えても答えが出ないことがあるし、先行データがない場合もある。

 

だから本来、最初の一歩は単なるデータ収集なので、失敗や成功を気にする必要はない。この考え方は非常に大切だと思う。

 

その段階から「悪い点を取ったらどうしよう」「対策したい」と考えるから、行動までのスパンが長くなってしまうのだ。これは本当に、なかなか気付けない思い込みだ。

 

繰り返すが、何か新しいことに取り組むとき、最初のコンタクトはただのデータ集めである。ゲームで言うチュートリアルに過ぎない。

 

そしてチュートリアルの意味は、ざっくり言えば「動作解説・練習」とかそんな意味なのだ。そこでの成功も失敗も、それぞれにカウントするべきではないだろう。

 

そしてもう1つは、フラクタル構造についての話だ。最近読んだ本にこの概念があって、つまり一見完全に同じ構造が繰り返されることだと説明されていた。

 

わかり易い例はマトリョーシカのそれなのだが、実際これは難解な数学の理論の1つ、カオス理論に結びつくものでもある。

 

このフラクタルという考え方は、冷静に先手を打つ際に物凄く使える。ざっくり言えば、あまり先のことを考えてもマジ仕方ないよねと、論理的に気づけるのだ。

 

例えば、自己啓発本などでもよくある、相手の行動を読んで選択肢を用意するという考え方。ここにも、カオスな罠が潜んでいる

 

将棋を例にとって考えよう。実際、自分の打つ手に相手の手を予測して次の手を考えること自体は、そこまで煩雑化しないため、ある程度それをすることは可能だ。

 

しかし、手が進んでいくと一気に不確実性が増し、予測が極めて難しくなる。実際、ChatGPTに聞いても、「わかるかそんなもの」的なメタをそこに感じる。

 

将棋の一手先や三手先を考える際の樹形図の総数は非常に多く、正確な数は実際のゲームプレイや解析に依存します。

 

将棋は非常に複雑なゲームであり、局面の組み合わせが急速に増加するため、すべての可能な局面を評価することは現実的ではありません。

 

将棋の将棋ソフトウェアやコンピュータプログラムは、計算能力を活かして多くの局面を探索し、最適な手を選択することができます。

 

しかし、それでもすべての可能な局面を探索することは難しいため、一手先や三手先を含む局面の総数を正確に算出することは難しいです。

 

局面の総数は、将棋盤上の駒の配置、持ち駒、王の位置などに依存し、非常に多くの組み合わせが存在します。

 

一般的に、一手先の局面の総数は数千から数万、三手先の局面の総数は数十万から数百万とされていますが、これはあくまでおおよその推定値であり、正確な数を求めるのは非常に難しい課題です。

 

将棋のコンピュータプログラムは、計算リソースを最大限に活用して局面を評価し、最善手を見つけることに注力しています。

 

こんな風に、正確な値は計算できないようだが、一手先の可能性と三手先のそれは、10~100倍の数の開きがあるそうだ。

 

となれば、五手先・七手先・十手先となると・・・。このように、先の手を考えすぎないことは、計算でも導出できる話であり、つまり大切なのだ。

 

この2つのことを知ってから、僕は見切りをつけて行動を起こすのが、少し楽に、そして早くなった。

 

皆さんにも役立つかもしれないので、ぜひ試してみてほしい。では、今日はこの辺で。

 

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