今日は、今まで以上にだいぶ抽象度が高い話を書いてみる。タイトルの通り、「我流の落とし穴」についてだ。
勉強でもスポーツでも趣味でも何でもそうだと思うのだが、物事に取り組む一番初めの段階は、「模倣」か「我流」の二つに一つしかないと考えている。
誰かの真似から始めるか、それとも自分でとりあえずやってみるか。選択肢としては基本そのどちらかしかないはずであり、響きや内容としてもすごくよく似ている。
だが、【観察力の鍛え方】と【大局観】という2つの本を読み返してる時に、ふと気づいたことがある。
それは、どっちから始めるかによって、辿り着くステージのレベルが全然違ってくるというものだ。
ということで早速、以下本題である。
我流はつまり、稚拙な模倣で留まる可能性が高すぎる。
例えば、自分の中で伸び悩んでいるとか、成長が鈍化していると感じる何かがあるとする。原因として、熱量とか才能が足りないこともあるが、そうでないことも多い。
僕は、その始まりにバグがあるのではないかと、最近そう感じるようになっている。 特に「我流」から始めたものは、行き詰まるまでがかなり早いと思う。
ちなみにこれは、1つのジャンル丸ごとではなく、特定の単元や技能ごとに生じることもあると感じている。物体は描けるのに、生き物が描けない人がいるのと似ている。
不思議だが、結構これは心当たりがあるのではなかろうか。少なくとも僕の個人的な経験としては、この気づきは結構マッチすると感じている。
逆に、自分の中である程度は成長ができたと手ごたえがあるものは、大体始まりが「模倣」なのだ。
雑誌や動画を参考に真似をしたとか、ちゃんと指導者がいて、そういう人に教わったとか、その辺はバラつきがあるが、起点が模倣だと、不思議と成長が早い。
だから最近、空き時間なんかに、自分が今持っているスキルや習慣について、その起点はどっちだったか、意識的に振り返るようにしている。
我流を厳しく言えば、それは稚拙な模倣。素直に基本動作・所作を学べばすぐにクリアできる段階で足踏みするのは、非常に勿体ない。
車輪の再開発のような時間を強制されやすいというのは、我流の最たる落とし穴、つまりデメリットとして挙げられると、僕は思う。
さて。では、「我流」であると気付いたとして、そのフェーズを意識的に脱するには、一体どうすればいいのだろうか。以下、それについて触れていく。
「我流」を手放し、「模倣」に徹する。
「アンラーン」という言葉がある。これは自分が学び、身に着けた知識や動作を、意識的に手放すことを指す。言うのは簡単だが、実行は非常に難しい。
長年やってきたやり方は、それが我流であっても、しっくりくる感覚とともに、その人に染みついている。いわば、日頃は無意識の領域にあり、言語化が済んでいない。
それをじっくり観察し、自分の学んできたものを意識下に持ってくる。そのうえで、他のやり方や考え方を学び、意識的に真似をする。
「我流」を身につけるのに結構な年月が掛かっている以上、学び直しにもそれ相応の手間暇は掛かる。だから、腰を据えるのが最初だ。
一朝一夕にできることではないと腹を括る。そのうえで少しずつ、意識的に自分の行動を変えてみる。できればそれを楽しめると尚良い。
だからまずは肩の力を抜き、検索でも人に話を聞くでもなんでもいいので、色々な例や考え方を知って、直感的にしっくりきたものを取り入れてみるのを薦める。
例えば僕は最近、ソロキャンプをすることにハマっている。1回目のそれは、特に深く考えず、家にあるものや安価な道具を搔き集めて、無理矢理実行した感じだ。
しかしそれだと当然、テレビやYouTube、雑誌で見るような楽しいものには程遠く、それゆえどこか不完全で、勿体ないという印象を強く感じてしまった。
とはいえロクな知識を持たないままにアウトドアショップに行ってみても、膨大なグッズに眩暈がするだけだった。こういう時こそ、我流を捨てて模倣を学ぶ好機である。
暇な時間にキャンプをテーマにしたブログを読んだり、キャンプ番組をじっくり観たり、同類と情報交換したりと、インプットの時間をたっぷりと取った。
そうすると、例えば「焚火にこだわってみよう」とか、「寝具にお金を掛けてみよう」といったネタが、自然とできてくる。あとはそれを1つずつ試していくだけだ。
そしてそれを試すと、ほぼ例外なく、新たな問いに繋がる。今度はその問いについて、新たにインプットを重ねればいい。
こういう循環に乗り始めてからは、趣味に成長という言葉を使うのも変だが、自分が理想とするソロキャンプの形に、かなり早いペースで近づけていると実感している。
もちろん、本当に才能がある人は最初から我流でやってもいいと思う。しかし世の中、大体そうじゃない人のが多い。
加えて、一個人の中でも、この分野は才能があるけど、別のここはちんぷんかんぷんだ、という偏りはザラにあると思う。
そういうときは、持ってても仕方がないプライドを金繰り捨てて、素直にインプットに徹し、溜まったネタを都度模倣する方が、学びは深まるだろう。
ところで、自分のやり方、信念、ポリシーというのに意固地になっている人ほど、不思議と成長しないとよく言われる。
それがなぜかというと、現状を打破する方法の手札があまりにも少なく、かつ増えもしないので、単純に目先の課題について、使える武器が頭打ちになっているためだ。
壁の向こうに行くことが目的なら、破壊すること以外にも、迂回したり、よじ登ったり、穴を掘ってみたり、色々ある。広い視野はやはり大切なようだ。
ということで僕はこれからも、自分が持っているスキルや知識のルーツをつぶさに観察し、我流が起点ならそれは伸びしろと捉えて、学び直しに励む所存である。
では今日はこの辺で。