精神的に未熟に聞こえるので語るのも恥ずかしいのだが、僕は終業後に掃除をして帰るというルーティンを自分に組み込むことがほとほと苦手である。
やってはみるが、「仕事はもう終わった」という思考が邪魔をして、「掃除しよう」という意識に切り替えられない。すなわち、無意識に移す前段階にすらいけていない。
1日できても、次の日が続かない。断続的な清掃が限界とは、なかなかに課題だなと思うけれど、それを積極的に改める気も起きなかった。
―そんな僕が、驚くほど素直に、特に意識を使うことなく、清掃に向かうことが出来始めている。自分事なのに、我が子の成長を感じるかの如く嬉しい。
そしてその経験を通じて、「率先垂範」の大切さと奥深さを改めて学べた。今日はそんなお話を書いておく。
尊敬する人が実際にやる姿こそ、最高のモチベーションなのかも。
僕の意識を変えたのは、この動画だ。自己啓発系のメッセージが入ってるとかそんなことは無く、ただ淡々と、人が施設の掃除をするという内容である。
これの何が印象的だったかというと、この人自体がジムのオーナーであり、かつ日本トップレベルのボディビルダーであることだ。
地位も肩書も実績もある、看板を持った人。そんな人が黙々と掃除をする姿に、不思議と、自分の態度や葛藤がひどくくだらない、恥ずべきことだと勝手に思えてきたのだ。
それに、「ナイトルーティン」という考え方も素敵だと思った。静かに心を落ち着けながらゆっくりとスイッチを切るような時間。なるほど、僕の心にも利点がある。
さらに意外だったのが、時折カットや早送りを入れているものの、施設全体の清掃でも、15分~20分程度で済むという事実だ。
「掃除は思ったほど手間ではないのでは?」という気づきで心理的ハードルも勝手に下がった。結果昨日は、20分くらい静かに淡々と、掃除を行うことができたのである。
それにしても本当に不思議だ。自分で自分をコントロールしようとあれほどあくせくしていたのに、こんなにスッと自分を変えてくれたのは、誰かがそれをする姿だった。
全く言語化できていないが、だからこそ率先垂範は奥深いのではないか。そんな風に今は納得している。
自分の理念が浸透しないのは、行動が伴っていないから?
こう考えると、もう1つ仮説が立つ。自分が理想とする文化や考え方がうまく定着していないときは、自分がそれを行動で示せていないことの証左ではないか。
僕はゆくゆく、校舎の規模を生徒数3桁まで増やし、活気ある雰囲気を創って、それから次のステップに移行しようと誓っている。講師業の引退はその通過点と言える。
しかしそれがうまく伝わっていないとき、それはバイアスか何かが遠因なのかもしれないが、それを行動に落とし込むことが不十分なだけかもしれない。
例えば、知識を共有することを推奨しながら、掲示物等が一切それを反映していないとすれば、そのちぐはぐさが浸透を邪魔していると言えるかもしれない。
そもそも自分が理想とする環境であるなら、自分が体現しないのはあまりにも意味不明な話だ。
例えばネコの魅力を物凄く語りながらも、その人の家では犬だけを飼っているというような違和感を覚える。
率先垂範。この言葉は、「立場が上の人間が、実際に行動で示すこと」みたいな意味で使われるし、それで大枠は全く間違っていないと思う。
だがそこに込められた意味や、汲み取れるメッセージは、想像以上に多く、大切なようだ。また一つ、いい勉強になった。
では今日はこの辺で。