精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

実は物凄く深い言葉では?つまり【体力】とは何なのか、考察する。

体力。この言葉を聞いて、「どういう意味?」という問いを持つことは難しい。それくらい幼い頃から馴染みのある、身に沁みついた言葉だと思う。

 

だが最近、31歳になった今、この言葉に関して実は自分の解像度が低いことを、強く実感するようになっている

 

「老いた」と自分を形容するには、僕はまだまだ客観的に見てあまりにも若いのだが、「もっと体力が欲しいなぁ」と思う場面は増えた。

 

今も面談四連発の一発目が終わった時点なのに、既に喉が掠れており、声が出づらくなっている。もっと体力が欲しいなぁ。

 

教員や講師は感情労働と言われるが、体力が尽きれば感情も簡単に揺さぶられる。この2つは密接にリンクしているはずだ。

 

だから問いたい。【体力】とは何なのか

 

今日はそれについて学びを深めた日の覚書である。

 

 

どこで体力不足を感じるのか。

 

体力不足を感じる理由。それは、大体皆そうだと思うのだが、一つの物事に熱中できる深さが浅くなってきているためだ。

 

特に中学~大学4年頃までは顕著だったのだが、ゲームに熱中していたら、気付けば朝陽が昇っていたという経験は、受験期を除けば月に3~4度はあった

 

また小学生の頃は、朝から晩まで遊ぶことができていた。日が昇る前に起きて、友達と川へ魚釣りに行き、戻ってきたらプールに行って、夜はクレしんを観る。そんな風に。

 

ところがここ最近は、ゲームの進度より睡眠を優先するし、2時間、3時間とぶっ通しで打ち込めるのは、魚釣りとキャンプだけになってしまった。

 

これは体力が無くなったのか、それとも感性が鈍ったかでいうと話が難しいのだが、僕は前者ではないかなと感じている次第である。

 

ここで一旦、僕が思う【体力】をきちんと定義しておこうと思う。色んな例を考えてみたが、一番近いかなと思ったのは、こんなものだ。

 

起きてから寝るまで、休憩を挟みつつも、必要に応じて深く集中できるというコンディションを維持できること。また、休息より活動を優先できること。

 

ちょっとわかりにくいが、要するに掃除をしなければならないと思ったらすぐに着手でき、ゲームに入れ込みたいと思ったら素直にそうできる、そういう体調である。

 

・・ならば、僕にとって【体力】とは要するに、集中力の総量ではないか。書きながら、そんな風に思い直している。

 

だからさっきの定義を、算数っぽい書き方で更新する。

 

【体力】=【集中力】が切れるまでの時間の長さ

 

―ということでここからは、【体力】=【集中力】というのを前提として、調べたことをまとめていこう。

 

強い心は強い体に宿るというけど、そんなに単純な話なのか?

 

ということで色々な資料をザッピングかけて、更に細かいところまで調べてみた。結果、【体力】を持続させる方法とは、以下のものに分割できそうだと納得している。

 

① 体力の総量を増やす

② 必要な体力を減らす

③ 回復力を高める

 

①は別に解説は要らないと思うが、②はどういうことか。例えば普段自転車に乗る人は、いちいち足の置き場とか重心に、意識を食われはしないだろう。

 

しかし自分が不慣れな作業や学習となると、あらゆることを意識的に行わねば、模倣すら困難となる。自転車の練習をしていた頃を思い出してみるとわかると思う。

 

こんな風に、実は何かをする際に持っていかれる体力は、その対象の習熟度に反比例する。実際僕は、英語の長文を2題解くより、数列の例題を2つ解く方がしんどい。

 

だからなるべく色々なことに精通すればいい・・という結論になりそうだが、それは結構無茶苦茶だ。ゆえにもっと現実的な落としどころを考えたい。

 

となると使えそうだと思ったのが、例えば「決断を減らす」とか、「リアクションを使い回す」といった方法、つまり自分ルールの設定である。

 

極論だが、「今日から一週間はパスタを主食にする」と決めてしまえば、晩御飯をイチイチ考える手間が丸ごと消える。その分、体力を節約できるのだ。

 

リアクションを使い回すというのは言語化が難しいが、例えば「Aの質問が来たらBの立場で返答する」という風に、頭を使わず反射で返すという思考のが近い。

 

それが上手だと思うのは、メンタリストDaigo氏と、ひろゆきだ。生放送を見ていると、似たような質問に対する返事には、本当に全く同じセリフを発している。

 

だからこそ、【体力】の総量を増やしつつも、いたずらにそれを減らさないよう、意志を伴った決断は削るべし。そのために自分ルールは、相当効果を発揮しそうである。

 

そして③は、これも加齢とともに自動的に落ちてきそうなものである。寝れば何とかなるという雑な方法で終えず、もっとサプリとかを頼れ、ということかな、と。

 

例えば高校生の頃は、そもそも通学が適度な運動になっていたし、ご飯は三食、放っておいても出てくるという恵まれた暮らしをしていたわけで。

 

それらの習慣がゴリッと無くなるのが大学の頃だが、そのときは20代前半という体力的にボーナスが発生している時期であり、徹夜してもなんとかなるモードが続く

 

つまり理想的な休息の知見を貯められないまま30代になるということなので、慌てて勉強しなければ、当て推量な健康法をひたすらぶつけることとなる。

 

僕も29歳ごろから意識して色んな健康維持法を試しているが、それらがことごとく、我流の健康法と対を成していることに驚いた。

 

この辺の勉強は試し続けねば、回復が後手に回り、つまり体力が尽きた状態が続いてしまうので、ある意味強迫観念に駆られながらだろうと、学び続けたいと思う。

 

まとめ。

 

てことで乱暴なまとめ。

 

【体力】=【集中力】が切れるまでの時間の長さ

 

であり、

 

① 体力の総量を増やす

② 必要な体力を減らす

③ 回復力を高める

 

この三本柱を鍛えることでじわじわと伸びてくる、ある意味総合的な力、ということだ。

 

凄く乱暴に言えば、筋トレして、無駄なことに振り回されず、よく食べてよく寝れば、体力は勝手についてくるということだろう。シンプルな話だ。

 

これからも自分の身体で毎日自由研究する心持で、この課題には向き合いたいと思う。

 

では今日はこの辺で。

 

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