今日は、「自分の心の声にいちいち耳を傾けない技術」みたいなことについて、記事にしてみようと思う。
「人間の脳みそはおしゃべりだ」というフレーズがあるように、人は暇な時間や後ろめたい気持ちがあると、勝手に色々な思考が頭に浮かんでくる。
しかもその性質として、大抵はネガティブな感情であり、いわば心配性でお節介な親からの小言をずっと聞かされているような気持ちになるので、難儀だと言える。
現に、この記事を吹き込んでいる今現在も、頭の中はある種の不安や苛立ちで、割といっぱいだ。
例えば、「職場に着いたらすぐにあれをやんなきゃいけない」とか、「まだあのメッセージの返事ができていない!」とかそういう風に。
これ自体は、無意識が僕にリマインドをしてくれているようなものなので、考え方によってはすごくありがたいことではある。
しかしやはり、お節介と言えば聞こえはいいが、「今それを思い出しても、仕方がないじゃないか」と思える、役に立たない囁きもやっぱり多い。
そしてそういったことまでも、いちいち前向きに解釈して捉え直すということをやっていては、心が持たないと思えてならない。
今日はそんなことをベースに、記事にまとめていきたいと思う。
クセの強い秘書を頭に置いておくイメージ。
体感値ではあるが、脳が僕に語りかけてくるメッセージのうち、直接的に役に立つのは7割ぐらいという印象だ。
あとの3割は、アドバイスっぽい皮をかぶっただけの、考えるに値しない不安や嫌な記憶であることがほとんどである。
例えば漠然とした将来へのどうしようもない不安、過去の嫌な記憶、そういう風に。なぜこんなのが思い出されるかというのは、実はあるメカニズムが隠れている。
人の記憶というものは、その一つ一つが連想されてつながっているとされる。歌い出しを思い出すと、サビが頭に浮かぶのも、似たような理屈である。
それと同様に、未完了のタスク等への不安など、あまり好ましくない感情とかが思考が湧いてきた時に、それにくっついてそれらが出てきてしまうのは、自然なことなのだ。
だからこそそういう性質は仕方がないと受け止めて、その上で切り離す工夫を入れる方が建設的だし、まだ何とかなりそうな雰囲気がある。
しかし、いずれも潜在意識における思考のやり取りであるため、そもそも自覚すること自体、とても難度が高い。
力を入れたことが無い筋肉を、意識だけで収縮させようとするようなものだ。まずはそこに至るまでに、結構な意識付けと訓練が求められるとみていい。
具体的なトレーニングは僕もまだ体系化できていないのだが、一番効き目があると考えているのは、瞑想だ。自分の心を観察する時間を、毎日しっかりと確保する。
その上で、自分の心に浮かんだ不安は、意味があるのかないのかを、自問自答を通じて区別していく。僕は今、そういう風に心掛けて、なんとか活用しているところである。
言葉にすると簡単に聞こえるが、自分の心を観察する力を日頃から鍛えておくことが、有益なメタと無益なそれを切り分けるために必須の努力という風に捉えている。
改めて言うことでもないが、ネガティブであることそれ自体は別に本当に悪いことでも何でもない。問題は、それを制御できない状況にあると、僕は思う。
ネガティブそのものを弱めようとすることはつまり、自分の強みを無差別に消そうとする作業に等しい。弱めるのではなく、乗りこなし、使いこなす。
そのためのやり方をしっかり学んで、まとまった手間暇を割いて練習した方が、よっぽど建設的じゃないかなという風に思う。
また何かヒントなることを実感できたら、記事という形でまとめておきたいと思う。では、今日はこの辺で。