精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

振り回されても無意味。後知恵バイアスにはご用心。

色んなバイアスを知るにつれて、その中でも後知恵バイアスは際立って厄介だなと思うに至っている。

 

簡単に言うと、何か出来事が起こった後になって、それはあたかも予測できたことのように思いこむ、という認知の歪みである。

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例えば学習塾の例で言えば、ある生徒からの退塾話が出たとして、その連絡があった後になって「あの時の言動は予兆だったのでは?」と考えるのがそれだ。

 

この後の思考の流れは決まり切っている。「どうして明確な兆候があったのに気付けなかったのか」という自責だ。これは反省のようで、反省ではない。認知の歪みだ。

 

今日はこの厄介な後知恵バイアスについて、記事を書いてみる次第である。

 

 

「わかっていたはずなのに」

 

後知恵バイアスの不毛な点は、本来全く因果関係の無い要素をも「それがヒントになっていた!」と思い込んでしまい、冷静な検証を妨げまくるところにある。

 

退塾しますと言った生徒において、「あの言葉がもしかして・・」という風に疑心暗鬼になったとて、この思考自体ある意味感情論なので、生産性はやはり無い

 

このバイアスの下では、何が起きているのか。一つには、記憶のすり替えがそうなのだという。出来事の前後で、僕らの記憶はメタによって書き換えられているのだ。

 

余談だが、そもそもなぜすり替えが起きるのかというと、自己防衛本能の一種という考えを読んだ際、「なるほどなぁ」と思わされた。

 

なにかに対して「間違っていた」と認めることは、自尊心を傷つける。そして「わかっていたことだ」と言えば、少し優越した感じを出せる。

 

プライドを守るための本能が無意識に発動した状態、それが後知恵バイアスなのだとしたら、「知ったかぶり」な思考は最初から疑った方が正しいのかもしれない。

 

このバイアスに対処するのは、他のバイアスと比べても骨が折れる。なぜなら、書き換えられる前後の記憶や感情を記録し、控えたうえで、検証する必要があるからだ。

 

日頃から自分の思考を、分単位で逐一記録している人はいない。だからこそ客観的に自分の感情を比較することが非現実的となり、バイアスに振り回されてしまうのだ。

 

それを踏まえて、現実的にどう対応するか。まず後知恵バイアスは、認知の歪みで引き起こされたバグであるので、やはり感情的なレスポンスだ。

 

だから、とにかく冷静になることが最優先ではないかと思う。冷静の定義は結構難しいが、不安や恐怖、憤りといった感情が消えるまで、思考を止めることだと言える。

 

検証は全てそこからだ。そしてこの検証も、少しコツがあると感じている。そのコツとは、軸の設定だ。

 

ヒューマンエラーは無かったか、仕組みで防げるものは無かったか等、感情を込めないように、基準を厳密に設けて、しっかりと振り返る感じである。

 

僕もまだまだできていないのだが、それを基に再発を防ぐ仕組みや施策まで持っていければ、検証はいっちょ上がりと言える。

 

こんな風に、できるわけない予測ができたはずだと、自分や他人を責めることなかれ。あるいは、ヘンな優越感を他者に示すことなかれ。

 

後知恵バイアスは、とにかく人を振り回す。その存在を理解し、「待てよ、今俺はこのバイアスに歪められてないか?」という問いを意識的に持てるようになりたい。

 

つくづく、そう思う。ということで今日はちょっと短いけど、今日はこの辺で。

 

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