宇宙を考えるとき、その問いはほとんどが純粋で、それでいて確かめようがないことに気づかされる。
宇宙に果てはあるのか。宇宙の形はなんなのか。宇宙の始まりはなんなのか。すべて注1で習う英語の構文で表現ができてしまう。
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ーしかしそれを確認できる日は、生きている間に来ないように僕は感じている。実際中世の頃は、天動説学派の人が亡くなった際、こんなコメントを出した人がいる。
「彼は天国に上りながら、宇宙にたどり着き、そこで初めて地球が回っていることを知るだろう」
僕もそうなる気がしている。もちろん天国があれば、の話だが。
ということで今週もざっと読んでいくこととしよう。
- 10月30日(月) 膨張宇宙論。
- 10月31日(火) 遥か彼方からの贈り物。
- 11月1日(水) ゴムバンドの上のアリ
- 11月2日(木) 僕らは過去を見ている。
- 11月3日(金) 超新星爆発。
- 11月4日(土) 今の宇宙は、僕らが見ている夜空によって立つ仮説。
- 11月5日(日) 宇宙の音楽。
10月30日(月) 膨張宇宙論。
筆者はより綺麗に星を見るため、結構な努力をしてきたらしい。例えばある施設を訪れて、スコープを覗き込んだこともあるそうだが、その時は曇天に阻まれたという。
ならばと高い山を登って、日没を待ったこともあるそうだが、その際は高山病にやられてしまい、結局綺麗な星空を見ることができなかったそうである。
自分を遠ざけるかの如く、偶然は重なる。そんな導入から始まる話は、宇宙は膨張し続けていること、であった。
これはどうして判明したかというと、光におけるドップラー効果がカギとなっている。自分から遠ざかる物体は、赤方偏移といって、ほんの少し赤くなるのだ。
もちろんこれは肉眼で感知できるレベルを遥かに超えているが、特殊な器具を使って分析すれば、これは感知できる。
それによると、夜空に存在する天体のほとんどは、地球から高速で遠ざかっているように振る舞っているそうなのだ。
地球はそんなに爪弾きものなのか?実はそれは違っていて、どこを中心としようが、空間全体が膨張している限り、遠ざかって見えるというのが本当のところだ。
風船に点を2つ打ってから、それを膨らませる感じをイメージするとわかり易い。風船自体が大きくなればなるほど、2点間の距離もどんどん拡大していく。
これが宇宙の実体を表しているというのなら、アインシュタインが信奉した定常不変は宇宙論というものを真っ向から揺さぶることになる。
宇宙創成にも書かれていた論争の話が、ここでも始まるのだろうか。得意分野だからこそ、粒子の話よりはワクワクする。
10月31日(火) 遥か彼方からの贈り物。
膨張する宇宙モデルだと、光は距離に応じて引き延ばされ、赤い光に近づいていく。この後に実は、昨日書いた「風船に打たれた点」のたとえ話が出てくる。
風船に3つの点を打ち、くねくねした線を描いてから膨らませると、その線は次第に、真っすぐという形状に近づいていく。これが光でも起きているそうなのだ。
この引き延ばしによって波数が変わり、光の色が変わる。そしてこれこそが宇宙が膨張する証拠である、と。
ちなみにこの頃になると、ルメートルの理論にハッブルの観測が伴って、定常不変な宇宙モデルは間違っているようだとアインシュタインが認めるに至っている。
しかしながら当時はまだビッグバンモデルにも弱点や粗はあったため、論争はまだまだ続くことになるのだが、それはまた別のお話、である。
11月1日(水) ゴムバンドの上のアリ
今日、20年くらい腑に落ちていなかった理屈が、やっと飲み込めた。
それは、光は遥か彼方から旅してくることと、宇宙は膨張していることを同時に考えると湧いてくる、ある矛盾だ。
超遠くから光の速度で飛んできても、宇宙がまだまだ急激に膨張しているのなら、永遠にそれって届かないんじゃないの?-昔から僕はこう考えてきた。
例えば50m走のゴールが、1秒で2mずつ伸びていくようなもので、そこがどうにも腑に落ちなかったのだが、「ゴムバンドの上のアリ」という寓話で、やっと納得した。
ある一本のゴムバンドの上を、アリが歩いている。このバンドを引っ張ると、当然バンドは伸びる。しかし、バンドが伸びることは、いわば動く歩道と似た挙動である。
つまり、アリが”自ら”進んだ距離に、ゴムバンドが伸びた分の距離が加算される。これを数列で表すと、1+1/2+1/3.......1/nという等比数列になるらしい。
これを計算すると、nが十分に大きければ、100を超える、つまり到達すべき場所に余裕で到達できてしまうそうなのだ。
宇宙は膨張している。その分はマイナスだけでなく、追い風のようなものとして、光を押し進めている。納得だ。エウレカ。また一つ、肩の荷が下りた気分である。
11月2日(木) 僕らは過去を見ている。
夜空を見上げるとき、どうしても思うことがある。それは、「俺は今、過去を見てるんだよな」というものだ。
例えば夏の大三角形を作る点の一つデネブは、2000光年の彼方にあるそうで、つまり僕が周南の山奥で見たあのデネブの姿は、2000年前のものにあたるのだ。
西暦に入って僅か20年かそこら。日本列島にまだ文字が存在しない頃に発射された光が、今の地球に届いている。なんと壮大な旅だろうか。
僕らは過去には戻れない。だが、過去を見ることはできる。本当に不思議なのだが、現実は小説よりよっぽど奇妙であることを裏付ける、そんな物理の1つだと思う。
11月3日(金) 超新星爆発。
観測史上最大の宇宙爆発…超新星爆発の10倍、太陽の2兆倍の明るさ | Business Insider Japan
スーパーノヴァ。ファンタジー系の作品等でよく聞くかっこいいカタカナだが、その意味は超新星爆発であり、星の最期の瞬間に起きる大規模な現象である。
その明るさは想像を絶するものであり、遥か遠方にある星の爆発でも、地球から観測が可能なほどだ。そしてこれを検知できれば、宇宙の規模感の理解が進むはずである。
実際それを取っ掛かりに、赤方偏移の度合いから距離を推測しようとしたことがあるらしいのだが、そこには波長にギャップがあったそうなのだ。
計算とのズレはなぜ生じたか。可能性を検討する中で一つの説として浮かんだのが、宇宙は膨張しており、かつその速度は加速し続けている、というものだ。
定常不変な宇宙が長い間文化として地球を支配していた時期があることを考えると、宇宙は想像以上にダイナミクスな動きをしているという指摘はすごく意外だ。
今度夜空を見上げたときは、その果てが超急激に拡大し続けている宇宙を、ちょっと想像してみようと思う。まぁ、無理だろうけど。
11月4日(土) 今の宇宙は、僕らが見ている夜空によって立つ仮説。
もしも天体観測に関する人類の興味が、100万年前後違ったら、どうなっていたのだろうか。おそらくだが、今とは違う宇宙モデルが立ち上がっている。
100万年早ければ、宇宙はさらにダイナミックだと語られていたかもしれない。しかし100万年遅ければ、宇宙は完全に停止していると語られているかもしれない。
今語られている宇宙モデルは、ここ2~3000年前後の観測によるものだ。宇宙という時間軸で考えたら、これは一瞬である。
一瞬の挙動で、運動の始まりから終わりまでを予測する。今の状況としてはこんな感じらしいのだ。できると思う方が、どうかしているレベル。
もし今のデータ全てが失われた状態で、遥か未来の人類が天体観測をしたら、なんてことは考えたこともなかった。
宇宙という途方もない規模の時空間では、すべてが取るに足らない飛沫なのかもしれない。
11月5日(日) 宇宙の音楽。
著者のマーカス・デュ・ソートイ氏は、数学や物理を音楽に例えることが好きなようだ。実際「素数の音楽」という邦題の本もあるし、楽器の演奏もできるという。
さて。宇宙には、種々雑多で、微弱な電波が、数多飛び交っている。その分析によって、宇宙の形を推測することは可能なのか、という疑問が述べられていた。
音だけ聞いて、それを奏でた楽器を頭に浮かべるような感じだ。もともとの楽器の姿を知っていれば、それは容易に思えるが、実際はけた外れに難しい。
例えば数学的に図形を分析すれば、まったく別々の図形も同一のものと定義され、実際にそれらによって奏でられる音も、響きは同じらしいのだ。
あらゆるヒントを用いても、全容の理解を徹底して拒むような宇宙の在り方。何かさらに高次な存在がそこにあると、考えたくなる気持ちもわかる。
では今週はこの辺で。