今日は、本番に強くなるための勉強のコツというテーマで、記事を書いてみようと思う。
勉強でもスポーツでも何でもそうだと思うが、練習だときちんとパフォーマンスが発揮できるのに、本番だとそうもいかないという人は、かなり多い。
この辺は、本人のメンタルの弱さとか、そういった部分が原因として大きいと捉えられがちだ。心の鍛錬が弱いから、本番という魔物に呑まれるのだと。
しかし、どうやらこの考えは、半分程度の的中度でしかなさそうだと言える。というのも、本番に弱い人達には、練習の段階で、ある共通点が存在するように思えるからだ。
このことは、色んな人の指摘や、そういうことを調べた研究から知った話なのだが、僕自身も体感としてその通りだと納得している。
ということで以下、それについて話をまとめていこう。
稽古は本場所の如く。
最初に言ってしまうと、本番に弱い人は、練習の形式が本番のそれとまるで違うことがほとんどだ。
例えば、入学試験を考えると、わかりやすい。大体の試験の制限時間は、50分~80分の間で行われて、しかも複数の科目が、休憩を挟みながら連続して問われる。
その出題のされ方も、二次関数や数列という風に単元別で問われているように見えても、実は他分野との複合的な計算・知識を求められているものがほとんどだ。
こんな風に、いわゆる入試の形式をとても乱暴にまとめると、「長くてランダム」という風に落ち着くと言える。これが、本番の形式なのだ。
ところが、この特性を意識的に再現している人を、僕はほぼ知らない。何なら、意図的に全く別形式の枠で勉強しているかのような人の方が多いと思う。
「今日は1日かけて、二次関数だけやろう」とか、「必ず20分に1回は、休憩を取ってやろう」という風に。これはもはや、本番とは完全に別物だ。
これだと、ルールが違う別物に習熟するばかりで、入試というルールに沿った練習が不足する。本番の練習が、実はできていない。だから戸惑いを覚えるのだ。
このことを端的に言い表した、好きな格言がある。それは歴代最強横綱とも謳われる、双葉山定次の発言だ。
これを「練習は本番のつもりで真剣に取り組み、本番は練習のようにリラックスして挑め」と解釈する人もいるが、僕はそれとは少し違った意味合いを感じている。
「いかに練習を本番に近づけて、そして練習のときのコンディションで本番に挑むか」といったメッセージともいえるのではないか。正解は無いが、僕はこう思いたい。
もちろん練習と割り切っているなら、15分で苦手な単元を解くとか、60分ずっとリスニングをするとか、そういう学習を入れるのは構わない。
ただ少なくとも週に1度は、試験の形式に合わせた演習時間が欲しいところだ。例えば、ただ問題を解く場合でも、50分なり80分なりの時間に区切る、という風に。
去年から僕は、入試まで残り1ヶ月くらいになってきたら、受験生には「試験科目の順番と時間で演習をしよう」と説き続けている。
僕の働くエリアの公立高校入試は、国語・数学・英語・社会・理科の順で行われる。だから日頃の学習も、インプットやらアウトプットやら四の五の言わず、その順で行う。
練習は安心を買っている側面もあると、羽生善治氏が【大局観】に書いているが、それは質のいい練習に限るのかもしれない。我流が報われるほど甘くは無いのだ。
ただ念押しするが、単語帳を読む、基礎計算をやり込むといった勉強を否定する気は毛頭ないのだが、やはりそればかりでは、本番での対応力は磨かれてこないと思う。
詰将棋をいっぱいやったら、棋力が全て上がるかというと、そうではない。このことと似てるかなと思う。
まとめると、長時間の演習時間と、ランダムに問題を解くという要素をなるべく意識的に日頃の学習の仕方に入れておけば、間違いなく日頃の学習の質が上がる。
これによって、幾分冷静に本番に臨めるかもしれない。ただ、その逆を行えば、本番で戸惑うことになる。ネガティブな方は保証できるとは、皮肉な話だが。
やはり大事にしたい、「稽古は本場所のごとく、本場所は稽古のごとく」という言葉。校舎の壁に貼っておこうかな。
それでは今日はこの辺で。