あるポケモンの映画だったと記憶している。ネタバレになるので詳しく言えないが、地球を離れ、宇宙の果てにどんどん飛んでいく映像が流れるシーンがある。
地球が遠ざかり、火星が遠ざかり、地球が点になるまで遠ざかり・・という感じだ。子供の頃、それまでの話もあって、僕はこれを切なさの感情を持って観ていた。
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今はまた、別の疑問が立ち上がる。例えば、天国は、太陽系の外に存在するのだろうか、という風に。あるいは、太陽系に対し垂直方向では無いのか、とか。
こういう風に揚げ足を取るような問いを差し向けるのは器が小さいことだと思うのだが、勉強と好奇心のサイクルを回すと、どうしてもこういう思考になる気がする。
しかし、宇宙も時空間も粒子もカオスも、すべて謎や未知に包み込んでくれる。それはある意味、無限におもちゃの取り出せるおもちゃ箱のようなものなのかもしれない。
僕もまた、それで遊ぶ子供の一人なのだろう。それはそれで悪くない。そう思った。では今週も、そのおもちゃ箱に触れていこう。
- 11月6日(月) 不気味なまでに均一な世界
- 11月7日(火) 創造主が居るのか、偶然なのか
- 11月8日(水) 理論は証明されず、反証しかされない
- 11月9日(木) 「で、どうやってそれを証明する?」
- 11月10日(金) 宗教か、科学か
- 11月11日(土) 最大の謎は宇宙なのか?
- 11月12日(日) 「わかった」バイアス。
11月6日(月) 不気味なまでに均一な世界
宇宙の外にも宇宙があるという、いわゆるマルチバースなる理論がある。SFの話かと思っていたが、現実を説明するモデルとして考案された一説らしい。
専門的過ぎて謎だったのだが、特定の粒子の状態が宇宙のどこであろうと気味が悪いほど均一であることが、その説の裏付けだという。
例えば、20℃の水と50℃の水を容器に入れて、隣り合わせにくっつけて置いておくと、いずれ35℃に落ち着き、最後は室温に落ち着く。そうやって温度は均一となる。
それと同じように、僕らが生きている宇宙にくっついて、影響を及ぼし、均一な状況を作っている別の宇宙があるのではないか?これがマルチバース論の始まりだ。
実際にそれがあるかどうかはさておき、僕らはそろそろ、電脳世界にもう1つの自分を持つことができるとされる。いわゆるメタバースだ。
マルチバースの証明か反証、メタバースの構築、どっちが先だろうか。それとも第三の選択肢が出てくるのだろうか。わからない。だから面白いと思うことにしよう。
11月7日(火) 創造主が居るのか、偶然なのか
僕も子供の頃に思ったことがあるが、この世の物理法則はなぜこうも、僕らが誕生し発展していくこと、そもそも世界が存在することに都合が良いのだろうか。
重力が今よりも強ければ、宇宙はそもそも膨張を果たさなかったり、必要な元素を合成するのに不都合だったり、そんなエラーを吐くらしい。
莫大な量の因数の全てが、ドンピシャでマッチしている状態。こうなると、どうしても創造主の存在を考えたくなる。全知全能の主が創ったのがこの世界なのだ、と。
しかし創造主を使わずにこの現状を説明するのに、マルチバースは実は相性が良い。超大量の宇宙が存在する中で、”たまたま”僕らのいる世界がマッチしただけなんだと。
必要十分な数量と時間さえあれば、どんな結果もいずれ出てくる。無限の猿定理でもたげてきた難題が、ここでも繋がるのかと、感心する心持である。
11月8日(水) 理論は証明されず、反証しかされない
ある数列を考える。1,2,4,8,16・・では次は何か。この場合、32という回答が自然で、31といえば笑われるが、どっこい31でも筋を通す説明は存在する。
乱暴に言えば、円に打った点の数(nと置く)と、その点を繋いで円を分割してできた図形の数という関係でみれば、n=5のときは31が正解なのだ。
過去のデータの蓄積は、未来を予測できそうな公式を生む。それによってまだ見ぬ観測が完璧になされたとき、それは事実として扱われる。
しかし、そこからさらにデータが重ねられていくと、本当にそれが真実かという点に疑問符が付く。それこそ、万有引力と、相対性理論のように。
ある哲学者の言葉に、「理論は絶対に証明されない。反証されるのみ」みたいな言い回しがある。すごくシニカルだが、科学の歴史を端的に表しているとも思う。
過去の蓄積で見えた気になるのは、あまりにも脆い未来。そう考えると、先のことを不安に思うことも、逆に楽観視することも、ひどくくだらないことに思えてきた。
11月9日(木) 「で、どうやってそれを証明する?」
理論を打ち立てたとして、それを証明する方法は何か。それは、未来を予測し、それが実際に観測されればいい、と言われる。
しかしその予測自体、確認が不可能なものだったらどうなるか。例えば、もう1度ビッグバンを起こすことで、ビッグバン理論を追認することはできるのか?
スーパーコンピュータで再現すればいいという考えもあるだろう。しかしここでカオス理論を思い出すと、微差によって結論が大きくズレるケースも容易に想像できる。
「宇宙は創造主が創りたもうたのだ!」「-ではどうやってそれを証明する?」「宇宙はまだエーテルで満たされているのだ!」「-ではどうやってそれを証明する?」
永遠に確認ができない状態では、どちらの理論の方が”もっともらしいか”がすべてを決めてしまいがちだ。定常宇宙とビッグバンモデルのように。
基本的にこういう確認ができない理論というのは、両陣営の人格攻撃に発展しやすいのも、ある意味納得の傾向っちゃ傾向である。
11月10日(金) 宗教か、科学か
宇宙について語ると、回答不能な答えにすぐぶち当たる。例えば宇宙の外には何があるのか、とか。その部分に答えをくれるのが、神という存在だ。
本書の冒頭に書いてあった話だが、神はどこに住むのかというと、人間がまだ到達していない知識の転がる場所という例えが、やはり滅茶苦茶刺さる。
まだ解けていないのに、存在は確認されている問題の、仮の回答を語るのが神。そう思えば、宗教と科学はなかなかに似た地点に繋がっているともいえる。
だからこそ揉めることもある。宗教に縋るのは、思考停止という過激な指摘もある。似て非なるもの、宗教と科学。時に統合されるこの2つ、しっかりと区別したく思う。
11月11日(土) 最大の謎は宇宙なのか?
僕らに残された最大の謎は宇宙なのか。それははっきりと否という人もいる。例えば僕らは、自分の感情や意識さえ、ろくすっぽ機能や正体を掴めていない。
脳神経のスキャン画像が宇宙の構造に似ているという画像を見たことがある。初見時は中学生で、ビンビンに厨二心をくすぐられた。
やはり、脳と宇宙の構造は似ている......最新研究|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
これはもちろん、僕らは誰かの脳内という宇宙に生きる極小の何か、という意味ではなく、単に構造が似ているというただそれだけの話なんだと思う。
神経も宇宙も、似たパターンで発達する。となれば知りたいのは、その法則だ。しかしそれは、まだまだ神の手の中に答えがあるタイプの問いだと思う。
謎が謎を呼び、おもちゃ箱におもちゃが大量に追加されていくように、僕らの問いは尽きることがなさそうだ。
僕らは多分、わかったという感覚を、今現在未知である対象について、強く抱くことは無いのだと思う。
「わかる」を手放す。【観察力の鍛え方】に書かれていた、四十にして惑わずの意味が「あいまい」を受け入れるという指摘の意味が、少しつかめた気がする。
11月12日(日) 「わかった」バイアス。
ブラックスワンという逸話をたまに聞く。ガッツリ調べたことはないのでなんの寓話か知らないのだが、今回も引き合いに出された一部分の話を読んだ。
曰く、「黒い白鳥がいないことは証明できない。ただひたすら、反証が挙げられるのを待つしかない。理論の寿命はそれまでの間だ」という感じで紹介されていた。
そして、この章における”科学理論が定着するまでの話”で、最近興味のあるバイアスのことが、しれっと登場した。
仮に黒い白鳥が観測されたとしても、「あれは多分、観測される前にタールのため池に落ちて、たまたま黒く染まっただけの白鳥だ!!」という風に譲らない人もいる。
こんな風に、自説に対し確証バイアスに陥る個人は多いが、同調バイアスと重ね掛けされれば、それは迫害や排斥に繋がる。ガリレオの例がそのひとつだ。
それを語った教授は、「俺はいつでもコペルニクスの側でありたい」とも言っていた。この言葉、すごく僕の心に響いたので、今後大事にしたいと考えている。
では今週はこの辺で。