昔から僕はよく悩む。一応過去10年くらいに比べたら、だいぶ自分の中のネガティブモンスターを御せるようにはなってきたと思うが、それでも、まだまだだ。
だからこれまで、【D・カーネギーの道は開ける】とか、【心の疲れを取る技術】などの、主にメンタル系の名著を何度も読み耽ってきた記憶がある。
最近はそこから更に、自分の心をしっかり見つめる方法や思考が知りたくて、【観察力の鍛え方】【運を支配する】【大河の一滴】などを読み、肉付けをした。
そこまでやった結果、最近やっと、「あぁ、そういうことね」と納得できたアドバイスがある。それは、「忙しくすれば悩みは消える!」というものだ。
主に堀江貴文氏が強く推しているものであり、それに従って我ながら忙しくしてみたが、それでも悩みがどこかにフワフワしているのを感じることも多かった。
だが、その原因は最近分かった。そしてそれはある意味、盲点だった。だから今日、急ぎ記事にまとめておく次第である。
僕が考える忙しさは、「忙しい」に該当しない。
そのことに気付いたのは、つい最近の話。矢継ぎ早に急な仕事が飛び込んできて、それにドタバタしていた際のことだ。
電話をかけて、アポを取り、その報告を書きながら、講師から上がってくる要望を処理する。本当に体から何本も手が生えてないと出来なさそうな忙しさ。
そんな最中、そこそこ長文で、僕に対するちょっとした苦言がLINEで飛んできた。もはや反射的にそれを開き、書かれていた内容をナナメ読みする。
内容をざっくり言えば、僕が依頼したある仕事について、それは他人に振るものじゃない、という感じのコメントだった。まあ、お叱りだ。
普段なら間違いなく、後知恵バイアスなども発動し、自分の至らなさを悔やんでいたことだろう。もう、自分のことなので、その辺はよくわかる。
だがこのときの僕に、そんなことを考える暇はなかった。そこから3~4の仕事を10分弱で処理し、そこからじっくり読んでみたが、なんかもう、どうでも良かった。
そしてそのときに悟った。没頭や没我を生む、いわばネガティブ思考を発生させないほど密度が高い忙しさとは、このレベルのことを指すのだ、と。
似ていると思ったのは、将棋で言う「秒読み」の段階だ。お互いに持ち時間を使い切ると、どれほど難解な局面でも、1分や30秒で一手を打たねば負けとなる。
じっくり考えたいのに、そうすることができない。直感や経験値で決める。この際、二人の棋士が放っている集中力には、もはや殺気がこもっているとさえ感じる。
ここまで突き詰めて、圧縮することで、ネガティブの息の根を止められる。そう考えてみると、僕が考える忙しさは、全然そんなことは無かったのだ。
ではそれを踏まえて具体的にどうするか。普段僕はマルチタスク否定派だが、ネガティブの払しょくが目的なら、むしろマルチタスクにした方がいいのではないか。
3分でブログを一段落書き、その後は掲示物を急いで作って掲示する。かと思えば仕事の連絡を飛ばして、一緒に算数の問題を解いて解説を行う。
多動力の本質とは似て非なる感じだとは思うが、これくらい目まぐるしく対象をスイッチさせながら錐もみ状態に”敢えて”なることで、初めて悩みはどこかに行くのだろう。
忙しくしているのに悩みが消えないときは、多分まだまだ詰め込めるという証左なのだろう。僕はそう構えておくことにする。
では今日はこの辺で。