魅力という言葉を思い浮かべると、「僕にはない何かだ」という卑下を、ある意味反射的に考えてしまう。
二十代前半の頃は、自分にそれはないという仮定のもと、どうにかしてそれを探してきて、自分に移植するべく色んなことを頑張ってきたものだ。
しかし、大学に受かっても、英検1級を取っても、「魅力がない大人だ」という手応えは拭えぬまま、三十代を迎えようとしていた。
その内「魅力」とは天賦のカリスマ性であり、持って生まれるしか取得する手段の無いラッキーアイテムだと思うようになり、次第に興味を失って、今に至る。
ただ32歳を迎えた今、同じように”魅力を諦めた”周りの友人や先輩方を見ていると、少し心穏やかじゃない感想を持つことがある。
例えばハゲるのは仕方ないと思うが、脂ぎった体型、ダサい服、ボロボロの靴、特に更新されない会話のネタ・・。そういうのに触れると、少し残念な気持ちを抱く。
と同時に、向上という努力を完全にサボった僕の末路を見ているようで、ここにきて改めて、20代の頃とは違う目線から、「魅力」に向き合わねばと思っている。
誰からも羨望されるために魅力を磨くのではない。勝手に下に見られないよう、最低限の魅力を演出する。そのためだ。
今日はその途上の備忘録を書いてみよう。
「魅力」を辞書で引く。
「魅力」という言葉でイメージ検索をかけると、美男美女、オシャレな人たち、高学歴、お金、そういった手垢だらけの画像が大量に流れてきた。
幾分冷静になった今考えると、それらは「魅力」というより、社会や世間が勝手に理想としているステータスであり、要するに側面の一つを表しているだけだと思える。
もちろん彼ら彼女らは存分に魅力的だ。だからといって、そうでない人が全員魅力的ではないというのも暴論だろう。そう思う人も、そう言う人も、等しく視野狭窄だ。
だから僕はもっと「魅力」の解像度を上げておきたい。あれこれと語るのはそれからだ。てことで、魅力について辞書を引いてみる。
人の心をひきつけて夢中にさせる力。「—のある人柄」「—的な笑顔」
・・・なるほど、当たり障りが無さ過ぎて、何一つ新しい発見が無い。だからさらに分解する。「魅」という字には、どんな意味があるのか調べてみよう。
1 化け物。妖精。もののけ。「鬼魅・魔魅・魑魅魍魎 (ちみもうりょう) 」
2 心をひきつけて迷わす。「魅了・魅力・魅惑」
ほほう、迷わす、とな?もしかして僕らは魅力のことを、無意識に、いわゆるエロス的な意味で使っているのではないか。
そう思うと、ハイスペックな人たちが魅力的とされるのも納得だ。嫌な言い方だが、単純に、子孫を残すチャンスが多い人たちというくくりになるためだ。
美貌。財力。腕力。こういった要素があればあるほど、群れのボスやアイドルとしてちやほやされる。そしてこういう魅力は、僕が一番、要らないものでもある。
不特定多数の異性に好意を寄せられる自分、年収1000万を稼ぐ自分、喧嘩が強い自分。どれもこれも、想像しただけでゲロを吐きそうになってしまう。
それはつまり、違うということ。僕はエロスな魅力など、自分に全く要らない。僕にとっての理想的な魅力は、こういうところには存在しないのである。
そのことを改めて思い出した今、僕はステレオタイプな魅力から脱して、もう少し広い視野でこの言葉を考えるスタートに立てたと言える。
では、改めて考えよう。「魅力」とは、なにか。それを考えていく中で無茶苦茶ヒントになったのは、以下のブログ記事である。
僕が「魅力」について覚えていた違和感。そのしこりを一瞬で解きほぐすような解説に、心が軽くなったのを感じる。
生まれつき、かっこよく生まれてきた人や、キレイに生まれてきた人っているよな。
そういう人は、さらにカッコよさや、キレイを磨いて魅力を上げていけばいいんだよ。でも、そうじゃない人っているよな。反対の人。
そういう人って、実は無限の可能性を持っているんだよ。
生まれつきカッコよくもなく、キレイじゃない人ほど魅力の上がり幅がすごいの。
魅力というのは、この上がり幅が大きければ大きいほど魅力が増すんだよ。だから魅力というのは、どのくらい高いところにいるかじゃなくて「どのくらい上がったか」なの。
だから、生まれつきカッコいい人や、キレイな人は「どのくらい上がったか」がわかりづらいけど、そうじゃない人は、身なりを意識したり、カッコよくキレイになるために努力をしたりすると、上がり幅がすごいんだよ。
言い方はわるいけど下から上がってきた人ほど、この上がり幅があるの。だから「魅力」の競争をすると、上がり幅の大きい方が勝ちなんだよね。
魅力とは、生まれたときの地点からどこまで伸ばしたかという幅を表す。どこまで成長してきたか、という経験値の集積。そう思うと、ポケモンに似ているなと思った。
野生のポケモンは、場所によってはLv.50で出現するものがある。しかし、Lv.5から手塩にかけて育てたLv.50のポケモンの方が、圧倒的に強い。
そのイメージで考えると、才能が無いことを言い訳に努力をしないことのダサさが浮き彫りになるし、才能があっても、努力をサボるとひどく劣化することも納得する。
人間としての深みは、這い上がってきた結果醸成されるもの。そう思うと、這い上がる余白がたくさんある状態で生まれたことは、ある意味良いことなのかもしれない。
魅力という言葉は、お高くとまった言葉に聞こえて結構嫌いだったが、今は少しだけ、愛することが出来そうに思えてきている。
では今日はこの辺で。