精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

カネと仕事を生まねば、どんな理想もただの画餅に過ぎない。そう反省中。

2023年が終わりに近い。校舎を預かる者を引き継いで8ヶ月が経つのだが、自分が思っていた仕事はこんなにもできないのかと、今はひたすらに焦っている

 

もちろんこれ自体が視野狭窄、いわばバイアスに囚われた状態に過ぎないのかもしれないが、仮に僕が社長なら、僕の評価にはよくてCを付けるに留まる、と感じている。

 

このポジションを引き継ぐと決まった際、僕はまず、理想や夢、目標を描いた。それを目指して頑張ろうと決めた。しかし、その夢の描き方が、甘かったように思う。

 

曲りなりにもリーダーになったのは、僕に夢を追わせるためではなく、組織として僕に果たすべき役割があり、それに相応しいと思われたためだ。

 

そのことを僕は意識できていたか。なるべく客観視しようと努めても、「微妙だなぁ」という感覚が拭えない。

 

そこで今日は、年度の反省にはまだ少し早い時期だが、忘年会を待ってもいられないので、胸の内のもやもやを、急ぎ記事に起こしておく。

 

 

やりたいことの前にやるべきこと。

20代の頃、7回以上読んだ「リーダーの条件」という本がある。ここには、「やりたいことの前にやるべきことをさせる」といった教えが記されていて、すごく同意する。

 

僕がしたいこととは、いわばワガママだ。だから、それを通すためにはまず、組織から与えられた役割をきちんと果たし、それから着手するのが筋。

 

・・・というのは頭では分かっていたつもりだった。しかし、現実は思った以上に、単純ではなかった。そもそも僕がすべきことは、与えられたタスクが全てではない

 

色々あってこの呼称は嫌いなのだが、僕は「責任者」だ。では、僕が負っている責任とは何か。今一度、丁寧に自問自答を重ねた。

 

職場内の環境を整えること。人の動きを管理すること。ご家庭と円満な関係を構築すること。これらはいずれも、目的ではなく、何かの目標、道しるべだ。

 

これらの看板を辿っていくと僕が辿り着くところはどこか。それは自明だ。カネだ。もっと言えば、カネと仕事を生み、利益を会社にもたらすこと。これしかない。

 

僕はここを果たさずに夢を追おうとしていたことになる。なんと甘ちゃんなのだろうか。諸々を率いた経験が乏しいと、30歳を過ぎてもここは手薄になってしまうのか。

 

気付けば気付くほど恥ずかしくなる。だが、恥ずかしがることが最善の行動とは思わない。こんなことが、現時点の最適手ではないはずだ。

 

だから冷静に考える。塾における利益とは、生徒数×平均単価。究極、この計算式で導ける。生徒数を増やすか、平均単価を高めるか。これは両立できるか、否か。

 

そのためには何をすればいいか。北極星をここに定めて仕事に当たらないと、理想もクソも無く、僕は居場所そのものを失う

 

正直、博打のごとく、一気に生徒数が増える未来を妄想したくなる気持ちがある。だがシビアにそこを律して、手堅い手を選んで打ち続けなければならない。

 

「リーダーの仮面」にも書かれていたが、「孤独感を感じて一人前」とのことだ。僕はまだ、”孤独”と思うことは無い。だからまだまだ追い込む必要があるのだろう。

 

そこを躊躇うようなら、僕はもうこのポジションを自分から捨てなければ申し訳が立たなくなる。夢のラインではなく、撤退ラインこそ、今の僕が引くべきもののようだ。

 

ところで、孤独とはどのような状態なのだろうか。メンバーにも理解されないほど高い視座を持ち、説明責任を果たそうにも果たせない状態を受け入れることだろうか。

 

まるで具体が追い付かない。それはつまり、僕にその経験が無いことを意味するのだろうな。

 

似た話は、「たった一人の熱狂」にもあった。「経営者の孤独は絶対にわからない」という風に。

秩序の敵、矢面に立つ、仮面をかぶる、冷徹に振る舞う。リーダーの孤独を表現する言葉はたくさんあるし、知ってもいる。だがそこには実感が足りない。

 

2023年、”孤独”が僕の大きなテーマになりそうだ。

 

ということで今日はこの辺で。

 

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