フェルマーの最終定理のドキュメンタリー冒頭で、こんなナレーションがある。「辿り着いた数式は、彼に名声と、そして後悔を与えた」
その理由はドキュメンタリー後半で語られるのだが、追いかけ続けた謎や問題が消えることは、達成感以上に喪失感を生み出すものなのかもしれない。
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もちろん謎が解けることは、新たな問いが開けたことを意味するが、その謎を解くために全力を注いだ人は、その新出の課題に挑む情熱も体力も残されていない。
人類は何千年もかけて、知らないことを知っていることに変えて、神を追いやっていったわけだが、まだまだ無限の果てに、神のいる場所があるように思う。
僕の生きている間で、そのエッジはどこまで広がるのだろう。解決ではなく、それを楽しみに読んでいきたいと思う。
- 11月13日(月) 無限有限論争のどちらに与するか。
- 11月14日(火) 最大の謎。
- 11月15日(水) もう一つの、最大の謎。
- 11月16日(木) 時間とはなにか
- 11月17日(金) 続・時間とはなにか
- 11月18日(土) 光の摩訶不思議さ
- 11月19日(日) 光速の90%で・・・・
11月13日(月) 無限有限論争のどちらに与するか。
僕は頭で色々考えるのは好きだが、哲学的な問答はそうでもなく、読んでいくうちに数学系の問題に簡単に突っ込むため、何ならしんどいなとさえ感じている。
例えば、宇宙は無限か有限か、どちらの説に賭けた方がいいか?こんな問いは、ぱっと見、好き嫌いで選べばいいように思う。
だが、パスカルや著者の理屈で考えていけば、無限であることに賭けた方が、負けるリスクは少なくなるのだという。ここは理解がどうしても追いつかない。
神話、宇宙、哲学、数学。これらが絡み合って宇宙論は成り立っている気がする。となれば、理解できそうでできない根源も、ここにあるような感覚がある。
哲学、いつか腰を据えて学ぼうかな。
11月14日(火) 最大の謎。
宇宙。ここが巨大な闇の中に隠している謎に比べれば、本書にこれまで出てきたカオスやフラクタルも、取るに足らないほど些末なものになってしまうそうだ。
昔から思うのだが、数学とは、人類が創ったアブストラクトな概念なのか、それとも人類が”発見”した、いわばメタバースみたいな世界なのか、どっちなのだろう。
数学を駆使すれば宇宙の姿が見えてくるという考え方を踏まえても、この巨大な謎2つには、密接なつながりが隠れているように思えてならない。
もっとも、その正体がわかる前に、僕は確実に死んでいるだろう。それだけわかる。
11月15日(水) もう一つの、最大の謎。
「時間」を考えると、いつも気が遠くなる。タイムマシンの可不可とかではなく、そもそも「時間」ってなんなんだ、という意味だ。
それはさながらビデオテープのようなもので、何かしらの手段で巻き戻すことが可能なのだろうか。しかしながら、とてもそうとは思えない。
しかも、時間の始まりは、ビッグバンの時点という説があり、仮にそれが正しいなら、ビッグバン”前”の時間は、考えるだけ無駄という話になる。
そんなわけで、次のテーマはいよいよ「時間」だ。宇宙以上に謎が深く、神学よりは哲学に近い探求の対象。僕の好きな感じの内容だったらいいな。
11月16日(木) 時間とはなにか
時間とは何かを考えると、否が応でも「時計」を頭に浮かべる。だがこれはあくまで、人類にとって便利なように、一定の分数なり時間数なりを計るための道具に過ぎない。
時計は時間である。こういわれると、すごく違和感を覚える。実際、時計という言葉や概念を使わずに、時間という語句を説明することは、とても難度が高い。
そして時間とは極めて抽象的な概念ゆえ、古代の人が遺した痕跡が、時を表しているのか、それともただの落書きなのか、区別が付きにくいという問題もある。
ラスコーの洞窟壁画にも、いくつかの線と、ヘラジカと思われる動物の顔が描かれているそうだが、これは狩猟シーズンを表しているという説がある。ある種、時の概念だ。
しかしその実際はどうなのか、もうわかりようがない。だから考古学は難しく、それでいてロマンを感じる余白もあるということなのだろうか。
この章を通じて、時に関する問いが一層深まりそうな気がする。
11月17日(金) 続・時間とはなにか
昔ぼんやり聞いた話が再登場したのでご紹介。1秒とは何かを説明するのは、ほぼ無理という話だ。なぜかというと、国際的な取り決めは以下の通りだからである。
国際単位系(SI)で「1秒は、セシウム133原子の基底状態の二つの超微細構造準位の遷移に対応する放射の周期の91億9263万1770倍の継続時間。」 と1967年に定義され、 現在も使われている。
となれば、共通認識として、時間とは原子が基準となった尺度のこと、として考えて差し支えないのだろうか。ただ、なんというか、これは少し味気ない。
あくまでも、これはルールだ。対象の奥深さ、本当の姿を示しているかどうかとは別物といえる。サッカーは手を使ってはいけないスポーツというと、何か違うだろう。
考えれば考えるほど、掌をすり抜けてどこかに消えていく感じがする。どんな定義をしても、しっくりくる答えは、今のところ得られていない。
11月18日(土) 光の摩訶不思議さ
光について考えるとき、実は腑に落ちていない性質がある。それは、光の速度は常に観測者に対して一定である、というものだ。
調べてみたところ、光の速度は一応定義があり、Wikipediaのそれを引用すると、これくらい奇天烈な数値が紹介されている。
真空中における光速の値は 299792458 m/s(約30万 km/s)と定義されている。
―ただ、更に奇天烈なのは、この数値こそが定常不変であることだ。実際、今は一切関知できないが、この地球は秒速600mという爆速で公転している。
僕らの位置は、宇宙空間において刻々と変化している。だが僕らが見る光の速度は299792458 m/s(約30万 km/s)で絶対に変わらないそうだ。
もはや意味不明だ。この分野において僕の理解は永遠に達成されないのではないかと、実は少し諦めている。
11月19日(日) 光速の90%で・・・・
昔ちびまる子ちゃんを観ていたとき、どういう話の展開かは忘れたが、今読んでいる章に関係する話が登場したことがある。
光速に近い速度のロケットに乗って地球外でぐるぐる回りながら過ごすと、時間の流れズレるという話が紹介されていたのだ。子供心に、意味不明過ぎて覚えている。
だが、↑に紹介した動画を観て、視覚的に確認することで、今は納得できている。これはタイムマシンのヒントなのだろうか。
論理と計算によって裏打ちされた、摩訶不思議すぎる理論と性質。実際、光でさえ少しズレることを考慮に入れないと、GPSの精度が狂ってしまうのだという。
あれを語っていたのは花輪くんだったか、丸尾くんだったか。いずれにせよ、彼らはすごく深いことを学び、クラスメイトに話していたんだなぁ。
では今週はこの辺で。