精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【英文読書ルーティン日記119】"START WITH WHY"読書感想ブログⅧ ~夢を語るリーダーか、夢を形にするリーダーか~

今回の洋書は、今までにない感覚を抱きながら読んでいる。それは、「え、もうこんなに読んだの?」という驚きだ。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

というのも、今の自分に応用できそうなことが多すぎて、本当にポンポン読めるというか、一回一回気持ちを入れ込みやすいのだ。

 

今の僕は、とにかく行動するために必要なアイデアと、その材料に飢えている。それにマッチするからこそ、非常に良い読書になっていると感じている。

 

てことで今週も始めていきましょう。

 

 

3月20日(月) 夢と目標の違い

 

誰のセリフだか知らないが、結構好きなフレーズがある。「愚かな人は借金を遺す。堅実な人は財産を遺す。優れた人は人を遺す。」という感じのヤツ。

 

そして派生版として、もう1つ加えられることがある。それは、「偉大な人は夢を遺す」というものだ。その人が果てても、夢はずっと続いていく。

 

偉人は、亡くなった後もその人が残した夢が北極星となり、多くの人を救い、同時に導いているキング牧師がその筆頭として紹介されているが、納得だ。

 

誰かに道を示し、動かすという意味では、目標もまた同じだ。だが目標は、「動かす」という意味合いが付きまとうのに対し、夢は「導く」というニュアンスを持つ。

 

恥ずかしがらずに自問しよう。僕の夢って何なのだろうか。もっと言えば、使命とは何なのだろうか。僕自身のWHYも、やはりまだまだアバウトなようだ。

 

3月21日(火) カリスマと雄弁家の違い

 

カリスマと言われれば、すごく自信満々に、興奮しながら、さながらバンドのライブみたいに聴衆を魅了する人たちを頭に浮かべる。僕が自然と身構えるタイプだ。

 

しかしそういった人たちは、単にテンションが高いだけであり、ちゃんと寝てカフェインを摂取した産物に過ぎないという指摘があった。なんというか、胸がすく。

 

では本当にカリスマたる人は、どんな人なのか。それは真の意味で、人に刺激を与えることができる人、だという。

 

例えばビル・ゲイツは、どちらかと言えば内気でシャイであり、コンピュータいじりが高じてここまで来たタイプという風に、半分貶されながら紹介されている。

 

しかし彼のプレゼンは、TEDにおいて最も視聴されたものの1つである。そう考えると、ちょっと気持ちが楽になる。

 

人に何かを伝えたい。真摯にそこに向き合えば、雄弁術など要らない。すごく良い言葉だと思う。

 

3月22日(水) 具体の前に抽象を掘り下げる

 

子どもの頃、僕は野球選手になりたかった。自分にはその才能が無いと悟った後は、魚が好きだったので養殖業に興味が湧いた。

 

しかし僕は数学と理科のセンスが絶望的に無かったので、あっさりと文系に進学。ある意味人生の執行猶予が欲しくて、そのまま経済学部へと進学した。

 

そこでも色々考えた。公務員を目指そう。筋トレも好きだし、警察はどうか。いやでも、人と密に関わるのもやぶさかではないから、小売業はどうだろうか。

 

しかし最初に就職したところは色々と自分には合わず、心に負荷を掛け過ぎて病むところまで行ってしまった。そこを辞してからはまた公務員を目指すことになる。

 

日雇いバイトをやってみたが、絶望的にマネジメントが下手な人に当たり一瞬で嫌気がさし、肉体労働も「無いな」と思った。

 

ただ人生は不思議だ。公務員を目指すまでの繋ぎと考えていた塾講師という仕事。それをもう7年も続け、その道で行くことを、暫定的だが決めているからだ。

 

なりたい職業は何かと子供に問うのは、大切だとは思うけど、それ自体に絶対的な価値は無いと思う。正直、現時点でなりたい仕事は何か」と尋ねる方がしっくりくる

 

僕の場合、趣味が高じて始めたとあるバイトはすごく楽しかったし、今の仕事も楽しめている。

 

だが肉体労働や小売業、公務員は自分には合っていないようだった。何が楽しくて、何がそうではないか。その共通点を掘り下げると、自分の価値観が見えてくる。

 

そう思うと、僕は自分が情熱をもって調べたこと、あるいは経験を重ねて得た仮説を、人と共有することが好きなのだろうと、今は納得している。

 

僕がこの仕事を続ける理由は、楽しく学びを深めて、実践し、共有する大人が生徒には必要だと、心のどこかで感じているからなのかもしれない。

 

ここはもう少し精度の高い言語化が必要だが、大枠では間違っていないと思っている。

 

3月23日(木) 理想的な階層

 

「リーダーの仮面」に書かれている「識学」の考え方に、一つだけ腑に落とせていなかったものがあった。それは、部下の仕事はリーダーの指示に徹すること、である。

 

なぜそれが腑に落ちないのかの理由は別に語りはしないのだが、僕がリーダーになってみて初めて、その意味がようやく腹落ちした。

 

徹してくれないと、データが取れないからだ。単に雑用を任せること以上の意味を絶対に込めて、僕は色んな人に仕事をお願いする。いわば、仮説の検証を任せているのだ。

 

「こう指示を出したら、成果はこんな感じか」という風に、一つ一つ検証をする。しかしそこに部下のサイドからスパイスを加えたら、味が変わって検証の意味が無くなる。

 

組織が共通認識として掲げるWHYを、具体的に実行するプランこそHOWであり、その産物がWHATである。これを念頭に置くと、仕事の意義が変わる気がしてならない。

 

だからリーダーがするべき仕事がまた一つ見えた。説明することだ。なぜそれが要るのか。自分たちは何を目指しているのか。それを果たすとどんな良いことがあるか。

 

黙して語らず、秘して花。その辺とは真逆のことをしないと、組織は瓦解するのだなと、改めて寒気がする感覚を抱いている。

 

3月24日(金) 夢を語るか、夢を形作るか

カリスマ的リーダーは夢を語る。それによって世の中が変わったと語られがちだし、根っことしてはその通りなのだろうが、実はこれは、車輪の片側に過ぎない。

 

夢を語ることで人々を刺激し、その夢を具体的なHOWに落とし込める人と組む。あらゆるカリスマの隣には絶対に、現実を見据えられる参謀が居るものだ。

 

面白い未来を描く人。面白い未来を形にする人。面白い組織の最小単位とは、この二人なのではないか。後は役割に応じて、規模が大きくなっていくだけ。

 

僕は正直、大きな夢を語れるタイプではない。10年後になっていたい自分なんてのは無い。1~2年スパンの計画だろうと、それで上等、むしろ長いとさえ考えている。

 

だからもっと大きな夢を語る人の神輿を担ぐ生き方という方が向いているのかもしれない。だがそれはそれで、皮膚感覚で嫌なところもある。

 

WHYとHOW。どちらを考える方が自分には向いているのか。また新しい自問自答のテーマが生まれてしまった。

 

3月25日(土) 夢を創るか、夢を叶えるか

昨日読んだ一節に触れて以来、ずっともやもやしていることがある。それは、自分はWHYとHOW、どっちを考えている方が楽しいのか、についてだ。

 

言い換えれば、僕は夢を見ているときが幸せなのか、夢を叶えようとしているときが幸せなのか、それを実は区別できていないと気が付いたのだ。

 

そしてこの夢の解釈について、例えば自分のそれと他人のそれに、差異はあるのか。自分の夢はどうでもいいが、他人の夢は大事に思える、という風に。

 

考えれば考えるほど、具体が自分の中に浮かんでこないことに気が付いた。ただうすうす感じていたが、僕は自分自身の夢について、かなり無頓着だ。

 

僕は今、金銭欲も物欲も、そんなに無い。人にメシを奢れる程度の稼ぎがあって、キャンプグッズを時々買えればそれでいいと考えている。

 

そして、結婚する気も全然ない。マイホームもどうでもいい。そんなことを考えるより、どうすれば生徒が志望校に通るかを考えて実行させる方が、よほど大事だ。

 

犠牲にしている感覚は無い。苦しいという気持ちも無い。滅私奉公しているつもりもないし、する気も無い。

 

そう思えば、僕は多分、夢を叶えるために具体的なことを考える方が性に合っているのかもしれない。校舎長にはなれる。だが起業して社長になるのは向いていないのかも。

 

独立というのは僕の数少ない夢の一つだ。だが自由な発想をするキャパを僕が持ちえないのなら、夢を創るのが得意な人を発見し、二人で起業するのがイイのかもしれない。

 

まだまだ自問自答は続きそうである。

 

3月26日(日) HOWタイプのリーダーの生き様

 

今別ブログで記事にまとめているところだが、僕はADHDというか、多動性を持っているとずっと自分で感じていた。(例えば今も、会議がロクに聞けない)

 

しかしどうやら、HSS型HSPという性格のタイプの方が、自分を的確に言い表しているような気がしている。両者は似ているが、非なるものなのだ。

 

そういう側面も加味し、そして皮膚感覚で僕自身がやりたいことを頭に浮かべていくと、ある意味自分の人生の覚悟というか、そういうものが見えてきた。

 

それは、僕は夢を語る人間ではないということだ。それよりも皆で夢を見て、それを具体的にしていく方が楽しそうだと考えている。

 

僕は自分が率先して表に出る必要があると考えていたが、同時にそれは、とても疲れることだとも感じていた。

 

その辺の矛盾に折り合いをつける方法が、少しずつ見えている。僕は家をデザインする人ではなく、家を建てる人なのだ。

 

就活のときには全く見えなかった、自分という人間の、より的確な価値観。これだから自問自答は面白い。

 

―ということで今日はこの辺で。

 

 

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