宇宙の話。時間の話。光速の話。今の僕はそれらの知識を知っている(理解しているわけではないが)。
それらをどこで知ったのだろうか。ふとそれを思い返すと、やはり小学校低学年までの時代に、大量の情報を受信したことが大きいのではと感じている。
jukukoshinohibi.hatenadiary.com
NHKをただ眺めているだけで、宇宙の話、時間の話、光速の話から、絶滅した生物の話、オーケストラ、伝記など、雑多な情報がたくさん流れてくる。
自分でいうのもなんだが、僕は雑学に強いといわれる。しかしそのほとんどは、大人になって仕入れたものではなく、子供の頃に触れたものを補強した結果である。
世界は科学に溢れている。ことエンタメにおいては。その観点で鑑賞するのも楽しいだろう。ということで今週も、読んでいくことにしよう。
- 11月20日(月) 光速で長生きできるのか?
- 11月21日(火) 誰が見ても正解
- 11月22日(水) 世界の真の姿は数式で見える説
- 11月23日(木) 時間の”形”
- 11月24日(金) 重力とはなにか
- 11月25日(土) 重力≠加速
- 11月26日(日) 「3人目は誰だ?」
11月20日(月) 光速で長生きできるのか?
光速に近い速度で過ごしていると、時間の流れがゆっくりになる。であれば、その状態でいれば、他の人より圧倒的に長生きできるのではないか。
そんな思考実験的なことが書かれていて、なるほどなと思わされる。しかし、物理法則にそんな穴は無いらしい。
よく理解できなかったのだが、自分にとって自分の時間の流れがゆっくりでも、他の世界全てが超高速で移動している状態になるため、結果長生きはできないそうなのだ。
そういえばこの現象の名前を「ウラシマ効果」と呼ぶことを思い出した。すごくしっくりくる呼称だ。
とはいえ、周り全員が自分を知らない世界になんて、そもそも生きたくないなと、正直思った。
世界最長寿とはつまり、その人が誕生したときに地球上に存在していた人が全員いなくなった状態を指すという指摘もある。僕はそれは嫌だなと、皮膚感覚で思う。
11月21日(火) 誰が見ても正解
唯一絶対の真理や答えは存在しない、そんなのをあると思って執着するから、ますます息苦しくなる。仏教について学ぶと、そのことがどんどん腹落ちする。
ところで物理学の世界でも、それは同じことらしいのだ。光とは観測者に対して不変の速度を持つため、それによってバグが生まれることもあるという。
動く電車の両端に、お互い向き合った拳銃を持つマフィアがいて、二人からの等距離に、哀れな被害者(マト)が立っているとする。
この時、電車の進行方向と観測者次第で、同時に発射したはずなのに、あっちが先、こっちが後という認知のズレが生じるのだという。
そしてこれは、どっちが正解というのではなく、どっちも正解らしい。物理学の観点から考えると、そういう命題は問うだけナンセンス、らしいのだ。
物理や数学に時折ある、謎の割り切り。ある意味こういうさっぱりした感覚がないと、数式はいじくれないのかなと、そんなことを感じた。
11月22日(水) 世界の真の姿は数式で見える説
時間と空間を分けて考えたニュートン、時間と空間を混ぜて考えたアインシュタイン。僕にはよくわからなかったが、アインシュタインの方が正確な解を出せるそうだ。
しかしそれをベースに世界を観察し、理論を組み立てるには、数学の力が必要だったらしい。世界が数式で見えるという現象のようなものだろうか。
とはいえあまりにも難解で現実離れしていると思われるそれには、アインシュタインも最初は疑いの目を受けたようである。
ただ結果としてそれがより正確に物理現象を描写し説明したということなので、数学の力と価値、そして面白さはこういうところにあるんだろうなと思わされる。
ちなみにアインシュタインの理論に貢献した数式を創ったのは、他でもないベルンハルト・リーマンだという。意外なつながりに、結構心が躍っている。
11月23日(木) 時間の”形”
本書を読んでいて、今まで考えたこともない問いに出会った。それは、時間の形とは何か、である。
僕は無意識に、時間を描写しようと思ったら、矢印を使うことが多い。左端が過去、中点が現在、右端(矢が付いてる方)が未来、という風に。
では時間の形とは矢印なのだろうか。それは確認する術などあるのだろうか。僕はどっちも、そうじゃないのではないかと思う。
あり得る形としては、ラバーでできたシートみたいに変形可能な四角とか、砂時計のような形状とか、さまざまらしい。
これを考えることは、宇宙の果てを考えること以上にヒントが少ないと思う。意味がある問いなのかは一旦置いといて、何か盲点を突かれた気持である。
11月24日(金) 重力とはなにか
大昔に読んだ「Newton」という雑誌に、「重力は実のところ、ほとんどなにもわかっていない」という記事があった。少しこれには、どうしても違和感を覚えたものだ。
僕は地面に立っているが、これは地球という超巨大な物体が、僕を重力で引っ張っているからだ。明確に感知できるのに、分かってないとは不思議だな、と。
しかし、そこで同時に紹介されていた逸話に、僕は「はっ」とした。それは大体、こんな感じの話だ。
あなたが静電気で髪の毛を逆立てて遊んだとき、静電気が生み出した微弱なはずの力が、地球が生み出している重力に勝った、ということなのです。
つまり重力とは、それを作り出す存在に比べて、あまりにも弱すぎるのが最大の謎なのだ。そう言われると、具体例が頭に次々浮かんでくる。
そして本書では、人は重力と加速を区別できない、というこれまた想像が難しい指摘があった。加速によって生じる力と、重力に引き付けられる力は、ほぼ同じだと。
見えないものを見よう、知ろうとすると、ほぼ必ず巨大な謎が待っている。それらはやはり、子供でも知覚でき、疑問に思う何かが多い。
重力。見えないけど確実に存在する、それでいて不自然なほど弱い力。何かその端緒でも、生きている間に分かればいいなと願っている。
11月25日(土) 重力≠加速
重力と加速は、力として似たものに思うが、それは別物。こういわれても僕はピンと来ていないのだが、更に理解が遠のく性質が書かれていた。
11月26日(日) 「3人目は誰だ?」
光すら捻じ曲げる、摩訶不思議な重力。「宇宙創成」にも書かれているが、これくらい滅茶苦茶な規模になると、ニュートンの理論でもズレが生じてくる。
それに決着をつけたのが、アインシュタインの相対性理論と、エディントンの観測によるタッグであった。ニュートンを上回る人物が現れたと、新聞の見出しは躍った。
この後、エディントンは記者か誰かに、「世の中には相対性理論を理解している人が3人だけいるそうですね」と冗談を言われたらしい。
彼は少し押し黙ったあと、「いや、3人目は誰だろうなと考えていたんだ」と答えたそうだ。ただし、あくまで、エピソードとして有名という情報しか残っていない。
これは皮肉なのか、それとも彼の叡智を表しているのか、どっちだろうか。僕には甲乙つけがたく思える。
では今週はこの辺で。