最近、主に仕事から帰ってからの時間で、以下の本を読みこんでいる。
これが非常に読み易いのは勿論、書いてある内容が凄く実践的で、読んで満足というより、「自分も観察してみたい!」という気持ちにさせられるのが有難い。
僕は僕の感情に無自覚だ。そのことを知覚できただけでも、すごく有益と言える。無知の知というものだろうか。
それに関して、自分の中で全く解像度が高くない、ある感情・・・というより、”感想”があるのに気が付いた。それは、「面倒くさい」である。
面倒くさいという言葉を使わない日の方が少ないほど、僕はこの言葉を多用する。それなのに、これはつまり何を言いたいのか、それがうまく言葉にできないのだ。
こういうテーマこそ、格好の観察対象だ。そう思ったので、腰を据えて僕は、「面倒くさい」という言葉と向き合ってみることとする。
「面倒くさい」の定義を探る。
当然ながら、「面倒くさい」は感情として分類されていない。プルチックの輪を眺めても、取っ掛かりすら得られないのは明白だ。こういうときは辞書を引くに限る。
尚「面倒くさい」とは「面倒に強調的な表現の”くさい”が付属したもの」という程度の違いしかなかったので、ここからは、「面倒」という言葉をベースに調べていく。
1 手間がかかったり、解決が容易でなかったりして、わずらわしいこと。また、そのさま。「—な手続き」「—なことにならなければよいが」「断るのも—だ」「—を起こす」
2 世話。「この子の—をお願いします」
3 体裁がわるいこと。見苦しいこと。また、そのさま。
「此の君の御供申し、不足なく見する物は—なり」〈義経記・五〉
こう並べたとき、僕らは十中八九、1番の意味で使っていることだろう。少なくとも僕はそうだ。また、上記の辞書には、更に細かい補足が添えられていた。
面倒・[用法]厄介——
「面倒な(厄介な)問題をかかえこんだ」「入国には面倒な(厄介な)手続きが必要だ」「面倒(厄介)をおかけしてすみません」など、わずらわしいの意、また人をわずらわすの意では相通じて用いられる。
◇「面倒」は気分としてわずらわしいという意が強いのに対し、「厄介」は事柄そのものが手間がかかってむずかしいというときに多く用いられる。
「ごはんをたくのが面倒だから店屋物にしよう」「面倒がらずに辞典を引こう」では、ふつう「厄介」は使わない。
◇「後輩の面倒を見る」は、世話をするの意。「知人の家に厄介になる」は、世話になるの意。それぞれ置き換えはできない。
◇「面倒」「厄介」よりも文章語的な言い方として「煩雑」がある。「煩雑に入り組んだ人間関係」「事後処理の煩雑さに音を上げる」などと用いる。
ここまで読むと、一気に理解が進む。「面倒くさい」とは、特定の対象に煩さしさを抱いた際に出る言葉のようだ。これ自体はすごく納得だ。
では、「煩わしい」という感情は、どんなものなのか。これまた辞書によると、こう紹介されている。
1 心を悩ましてうるさい。面倒で、できれば避けたい気持ちである。「近所付き合いが—・い」「雨の日は出掛けるのが—・い」
2 こみ入っていて複雑である。「—・い事務手続き」
3 気がおかれる。気をつかわせられる。
「やむごとなく—・しきものに覚え給へりし大殿の君」〈源・賢木〉
4 からだのぐあいが悪い。病気である。
「年久しくありて、なほ—・しくなりて死ににけり」〈徒然・四二〉
1の意味だとすると、無限ループに入りそうだ。しかし、2の定義を考えると、「手間がかかったり、解決が容易でなかったりして面倒」という意味とのつながりが見える。
僕らは面倒くさいと感じる対象に、往々にして、「直感的に複雑や手間暇がかかりそうというラベリングをしている」というのが実際のところではなかろうか。
ところで、ここでふと気づいた。日本語の「面倒くさい」を英訳しようと思うと、実は結構色々なそれを使い分ける必要がある。
それはつまり、英語の方が「面倒」という事柄への観察や分類、理解が進んでいるということではないか。だから続いて、英英辞書を引いてみる。
実際、「面倒」という語句を英語で調べると、候補として以下の言葉たちが出てくる。
troublesome、bothersome、tiresome、a difficulty、a nuisance、 troubles、complications
特に日本語の意味に近いと紹介されるのは、「bother」「troublesome」といったところか。僕もよく、このどちらかで表現をする。それで困ったことは無い。
尚、これらはそれぞれ、以下のように定義される。
bother→to make the effort to do something/ to make someone feel slightly worried, upset, or concerned
何かをするために努力すること/第三者を、少しだけ懸念・怒り・心配の気持ちにさせること
troublesome→causing problems, in an annoying way
苛立つようなやり方で問題を生み出すこと
という具合だ。やはり共通点が見て取れる。botherを強くしたらtroublesomeという感じであり、プルチックの感情の輪で言うと、中心により近づく感じを想起する。
―では、辞書的な意味はこの辺にして、他の人たちは「面倒」という気持ちをどう解釈しているかについて調べてみよう。
すると、脳科学者の方が、この「面倒くさいとは何か」といった質問に答えているインタビュー記事を見つけた。この観点も、示唆に富んでいて面白い。
すごく掻い摘んで言うと、「脳は静かな環境に居ると、その分の余力で面倒という気分を作り出す」とか、「多大な処理能力が要求されるタスクを面倒と思う」とあった。
やはり、面倒という考えは、作業量・手間暇と密接にリンクしているように思う。自分の目の前にあるものに必要なリソースが透けて見えるから、”面倒”なのだ。
そしてそれは、個人差がある。例えば僕は洗濯物を干すのが面倒なのでランドリーに放り込むのだが、それを丁寧に天日干しできる人もいるように。
また、「面倒という気分で包まれた感情を解きほぐしてみよう」といった提案をしているブログ記事もあり、それもすごく「なるほど!」と思った。
怒り・悲しみ・恐れ。これらを一例として、面倒と評した事柄の裏には、言語化されていない感情が隠れている。だからそれらに想いを馳せよう、と。
となれば、面倒とは、言語化が済んでいない感情にとりあえずつけられた名前、という見方もできる。僕らの言う”面倒”は、すなわちこれらの定義の集合体なのだろうか。
作業量・手間暇・不慣れなタスクに対し脳が抱く、怒り・悲しみ・恐れといった様々な負の感情に分化しうるもの。それが、【面倒】。腹落ち感は、無きにしもあらずだ。
進化前のイーブイというイメージが頭に浮かんだ。何にもなれるが、まだそのどれでもない、未熟な感情・思考。面倒とは、むしろ慈しむべき対象なのかもしれない。
となれば、また仮説が浮かぶ。つまり面倒もまた感情であるなら、認知し、観察することで、「手放す」こともできるのではないか。
僕は何に対し、どうして面倒だと思ったのか。そこにはどんな感情が起点となっているのか。それらを丁寧に自問自答すれば、何らかのアクションに持っていける気がする。
苦手だから?興味がないから?それとも過去に何かしらの記憶や経験があり、そこに付随した感情が邪魔をしているから?あるいは、新しいことに挑もうとしているから?
問いはこうしてまたも無限に発散する。だからこそ尽きない。故に面白いと、僕はそう感じている。
・・・皆様からすれば七面倒なことをしていると思われるかもしれないが、僕はこれが楽しいのだ。この感覚も、「面倒」を理解する一助になるかもしれない。
さて。とっ散らかったまま全然まとまっていないが、僕は満足したので、今日はここで終わりにする。またなんか手応えがあったら記事にしやす。