まだまだ教育相談のシーズンは続く。せっかくならばインプット量も増やし、経験値の質を上げたいと考えているため、色々な【傾聴】に関する記事を読んでいる。
そんなとき、たまたま読んだ精神科医の記事から、ある興味深い考え方を得られたように感じる。それは、聴き手の姿勢についてだ。
実は、僕は面談を一つ終える度、驚くほど疲労が溜まる。生徒に対する授業の数倍、誇張抜きで疲れる程だ。これは割と異常ではないかと、心配になるくらいに。
口下手であることが原因かと思い、色々な言い回しを研究した。また、単に不慣れなのかと思い、最大で1日6回、面談を積むこともあった。
しかし、いずれも改善にはつながらず、そもそも前提の時点でバグっているような気はしていた。そんなときに出会ったのが上記の記事だ。
今日はこれをベースにして記事を書いていこう。
あなたが聴いているのは誰の声?
【傾聴】とは、相手に寄り添い、その言葉にじっと耳を傾けて、少しでも心を軽くしてあげるために行うこと。僕はこう考えていたのだが、実はこれがズレているという。
むしろ、相手の悩みに対して過度に共感せず、それでいて自分の頭の中に浮かぶ意見は無視しつつ話を聞くことが良いという。
それについてはわかり易い漫画でまとまっているのでぜひサイトの方を見てほしいのだが、端的にされた説明はこんな具合だ。
私たちはひとりひとり価値観が違う。
そのため、アドバイスをされても受け入れることができなかったり、良かれと思ってしたアドバイスを受け入れてもらえなかったりするとモヤモヤしてしまう。
そうした不満が積み重なっていくと、人間関係にヒビが入る。
そんな状況を招かないためには頭の中の雑念を取り除きながら「今」という瞬間に集中し、相手の話に耳を傾けていくのがポイント。
相談をされた時こそ「何ができるか」と考えず、相手の話を無条件に受け止めていく必要があるのだ。
・・やや冷徹な響きであり、これにはちょっと驚いたが、その理屈を考えていくと、やはり納得感は高い。少し抽象的になるが、頑張って噛み砕く。
ある相談を受けた際、あなたがその人を「なんとかしたい」という想いを持って話を聴いていると、その内「自分の感想・感情」というノイズにそれが濁されるという。
「上司の当たりがきつくてさ・・・」と言われて、「なんてクソな上司だ!」「こいつは悪くないな」「転職すればいいのに・・」と思った際、これは誰の声だろう。
実はこれこそ、自分の心の声だ。この言葉に意識を向けているとき、相手の話を”聴いていない”。聖徳太子でない限り、人は2つの話は同時に聞けないのだ。
そしてこの現象が起きる根っここそ、「この人のためになることを言おう」という親切心である。そのフィルターを通すから、感想というノイズが自分の内に生じてくる。
それにしても、結果それによって話が聴けなくなるとは、とても皮肉だ。この厄介なバイアスを打破するには、どうすればいいのか。
やはり、ここに王道は無い。現在の時間軸で相手の話に耳を傾け、自分の心の声は意識して手放すことが大切だと説かれていた。
自分が理想的な返答をすることも、相手が自分の発言で救われることも、一切期待しない。ただ、聴く。発問はあくまで、相手の話を引き出すために行うものだ。
感情を丁寧に言語化し、気付かせてあげることも効果的だという。そのためにも、無責任にならないよう心掛けつつ、距離を保って聴くことが大切だと、改めて認識した。
僕が今毎日取り組んでいる教育面談では、真剣に情報が欲しい人と、単に愚痴りたい人の2つのパターンがあると感じている。
前者には情報提供が必要だが、後者はただ話を引き出し、聴くことが求められる。この違いに気づいたことで、自分が抱えるストレスや課題が、かなり明確になった。
今後の面談では、相手の話に焦点を当て、自分の声に振り回されずに聞くということを意識して実践していく所存である。それがウィンウィンの結果を生むのだから。
それでは、今日はこの辺で。