精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

話を聴く側として、僕が抱えている弱点を整理する。

今日、塾での教育相談に一区切りがつく。厳密にはまだ数件残っているのだが、毎日3つも4つも懇談を行うという日々は、一旦今日で終わりだ。いい酒が飲める。

 

しかし、そんな日々の佳境で一番実感しているのは、僕自身の心身の消耗だ。特に後半の数日は、風邪薬を飲み、睡眠もいつもの1.2倍くらいにして、ようやく動いていた。

 

騙し騙しで何とか駆け抜けたような日々。なぜ僕はこんなに、面談という場を踏めば踏むほど、疲弊していくのだろう。累計で200件くらいやっているはずなのに、だ。

 

だから、どこかにバグがあることを前提に、自分の向き合い方等を検証し直してみた。色々なコーチングの例やカウンセラーの記事を読み、それを自分に当てていく。

 

すると、以前記事にしたこともある、あるバグの候補に行き当たった。ということで今日は、それを仮説のまま、記事にしたためておこうと思う。

 

 

共感しすぎるという罠。

 

この面談のシーズンになると、本当に消耗してしまう理由。それは、保護者や生徒の気持ちに、過度に共感してしまうためではないかと考えている。

 

ちなみにこれには【エンパス】という名前が付いており、その研究は最近始まったような印象を持つ。

logmi.jp

 

このエンパスは、相手の気持ちへの過度な移入ではなく、自分が勝手に作り出した印象や感情に、過度に没入することが原因だと僕は捉えている。

 

例えば相手は進路選択に苦しんでいるはずだ、そう思えば居た堪れなくなる、なんとかしてあげたい、できない自分がもどかしい・・・という風に。

 

言葉にすると分かるのだが、これは相手の気持ちを勝手にラベリングして、勝手に同情し、共感し、しんどくなっているだけだ。客観的な視点は1㎜も存在していない。

 

これが人の話を聞く姿勢の念頭にくることで、無駄に疲労を受信しくたびれるというバグを生んでいるのではないか。そう思うと、当事者としてすごく納得できる。

 

しかし、バグの心当たりが立ったからと言って、すぐに解決できる話ではない。これは潜在意識の話だからだ。

 

スポーツでも同様だが、潜在意識に染み込んでいる部分を自覚して、それを変えていくことは非常に難しい。自分の思考のクセは目に見えない分、なおのこと自覚し辛い。

 

確かに人の話を聞く姿勢には、ある程度相手の話に共感することが求められる。しかしその共感が過度だと、その人以上にこちらがやられてしまう。

 

ではそのうえでどうするか。実はその答えについて、カウンセラーや精神科医の方の心掛けを読むと、共通解のようなものが見えてくる

 

それは、相手と、今の話の内容にだけ集中することだ。それに付随する”自分の”感情や感想は全て無視し、意識的に手放していく。

 

この姿勢は、さながらマインドフルネスだ。あたかも、話す人と話を聴く自分より更に上から俯瞰するメタ認知を持つような感じだろうか。

 

僕が普段心がけている姿勢は、綺麗にこの逆だ。自分の内に湧いてくる感情や感想に、簡単に振り回される。その結果、どこかにバグを感じている。

 

そこが違うのだ。客観的になることは、冷酷であることではない。本当に真剣に話を聴くためには、自分の内側から湧いてくる声すら邪魔なのだ。

 

むしろ、自分の発言や助言で救うという考えは傲慢であり、自分にできることは話を整理し、その人が思考を進めるのに必要最低限な情報を提供することだけだと思う。

 

人の話に過度に共感しない姿勢は、職人技のひとつであり、その根幹に流れているものはマインドフルネスに通じている。

 

自分の心を壊さないよう、心の観察と切り離しについては、常日頃から考えておかねばならないと、一層その意が強くなっている。

 

では今日はこの辺で。

 

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