大体2週間前から時折ぼやいているが、クソ繁忙期がようやく一区切りついた。ちょっとしたらすぐに冬季講習が始まるが、一息つける貴重な時期に差し掛かっている。
しかし、先週、今週と続いた繁忙期は、それなりに僕の心身を疲弊させやがったようだ。過去に経験した適応障害を思い出す症状が、いくつか出ているためだ。
こういうとき、自分を労い、止めてあげられるのは、文字通り自分だけだ。だから今週は、実働をできるだけ意識的にセーブし、休養を優先している。
今日はまだ2日目とかなのだが、既に変化が出ているので、その感想について書いてみたいと思う。
「おうち入院」というオプション。
この2週間の過労により、どんな影響が出ているかを先に書いておく。まずとにかく、寝床から出ることが非常に難しくなった。起きられないのだ。
覚醒こそすれ、1時間くらいゴロゴロしたり二度寝したりしないと、起き上がろうという意思が一切湧いてこない。これは大抵、精神が病み始めているときの症状だ。
また仕事中の集中力が激減し、最長でも15分くらいしか、一つのことに意識を向けられなくなっている。これはカフェインをいくら摂取しても同じであった。
当然、身体も重い。簡単に息が切れるようになり、膝から下に鉛を感じるようなダルさもずっとある。不安な感情も四六時中頭に浮かぶようになり、不健全待ったなしだ。
20代の頭、頑張り過ぎて適応障害になったあの頃を思い出す。そのときはそこで止めずに更に自分を追い込んで、結果心を壊すところにまで行ってしまった。
もう二度と、同じミスを繰り返すわけにはいかない。その経験もあり、「甘えるな」という無責任な自分のメタも跳ね除けて、休養を重視すると誓ったのだ。
そこで取り組んだのは、下園壮太氏の著書で知った、「お家入院」というワーク?である。
具体的には、仕事を最小限に留め、空き時間をなるべく多く確保し、その間は入院中のように静養重視でリラックスする、というものだ。
SNSは元々見る方ではないが、意識的に特にXや携帯広告はシャットアウトし、なるべく読書等を通じて、仕事の合間も”ぼーっとする”ことを心掛けている。
睡眠時間も思い切って、最低9時間は確保した。ただし初日は上手く寝付けず、8時間睡眠となったので、翌日はもっと徹底して入眠スケジュールを立てたいと思う。
さて。これらが功を奏したのか、たった2日目で、既にかなり楽になったのを実感している。もちろん完全復活には程遠いので、最短でも1週間はケアが要るだろう。
また、オフを最優先に据えると、なにも一日に仕事を過剰に詰め込む必要はなく、最低限のことをこなせば十分だという当たり前のことにも改めて気がついた。
僕は実際に多忙だった時期もあるが、頑張ること自体が好きなのだと悟った。子どもの頃の頑張り方で評価される時期は、とっくに終わったのに、だ。
繰り返しになるが、もうちょっとすればすぐ、冬季講習というまたハチャメチャな時期が控えている。
やはり今週いっぱいは「お家入院」を合言葉にして、心身を休ませることに重点を置き、乗り切っていく所存だ。
休むことは悪という思考は、本能が懸命に打ち鳴らしている疲労のアラートに他ならない。少しずつ、この認識を自分にインストールしていきたい。
その潜在意識は”壊す”のではなく、丁寧にほぐしていくべきコリのようなものだ。そもそも「べきだ」は簡単に自責の念を生むので、なるべく避けた方がベター。
自分に優しくという言葉の意味合いを、これを機に色々と見直していきたいと思う。それでは今日はこの辺で。