僕がどうしても肯定しきれない言葉に、「上が頑張りすぎると、下の人間が休めないからほどほどにしろ」というものがある。
これを聞いた当時は「そんなものか」と納得したが、今はどちらかといえばその言葉を思い出すとストレスを感じる。「上が頑張らないから、俺が忙しいのだ」、と。
実際、今僕はまさに中間管理職であり、上司の補佐も、現場で働く人たちのマネジメントも、一括して担当している。その関係で、忙しくなりやすいし、暇になりにくい。
特に冬季講習といった短期間で大量のコマが発生するイベントが出てくると、作業量は何倍にも膨れる有様だ。毎日毎日因数が変化する方程式を解いている気分といえる。
―こういう風に張り詰めてくると、やはり心身が疲労する。そしてそれが蓄積してくれば、他者に対して猜疑心と攻撃性が強まってくる。自分の中にもそれを感じる。
野生の動物を考えてもわかるのだが、追い詰められた生き物は、確かに大変凶暴になるイメージがある。窮鼠猫を噛む、という言葉にもなっているほどだ。
そして、この本能はしっかりと現代を生きる人間の脳にも残されている。潜在意識だ。だからこそ、ただ「怒らないよう頑張る」だけでは対処できないということなのだ。
この話を、【がんばることに疲れてしまったとき読む本】を読んで再確認した際、どうすればこの「警戒」を解けるのか、すごく知りたくなった。
警戒を解くとは、他人を許すことだ。では他人を許しますと頭の中で唱えれば、それで解決していくのだろうか。体感としては、逆にむかむかしてくるとしか思わない・・。
更にこの辺を紐解きながら考えていくと、ふと起点たる考え方に行きつくことができた。今日はそれをつらつらと書いてみよう。
他人を許すためには自分を許す必要があるが、自分を許すためには自分を"ゆるめる"必要がある。
「警戒」している際、自分の身体に意識を向けてみると、面白いほど緊張している状態に等しいとわかる。
例えば、呼吸は浅く速くなるし、心臓の鼓動は強く感じられるし、他者の言動全てが自分への敵意を帯びて感じられるようになるし、未来予想は全て不吉なものになる。
「警戒 緊張」の二語を並べて検索を掛けてみたが、やはり同じような意味の語句として使用されている様子であった。
―ところで、こういう緊張を解くための方法は、実は科学的にも体系化されている。それは、意識的にコントロールできる全てを、ゆっくり行うことなのだ。
あえて、歩く速度を遅くする。あえて、呼吸のカウントをゆっくりにする。あえて、所作の一つ一つを緩やかに行う。これだけで、心はすーっと落ち着いてくる。
つまり意識的に、警戒・緊張しているときとは、真逆のことを行うという話だ。不思議なもので、こうしている間に、強張った心身は、確かに段々と解れてくる。
ちなみにこのことは、例えば発達障害などで感情の制御が効きにくい子供が興奮した際に、真っ先に現場の大人がその子にやらせるべきことでもある。
まずは、落ち着かせる。そのうえで、例えば別室へ連れていく、喧嘩している生徒の間に入るなど、心的安全を保障する。理由や胸の内を聞くのは、それからなのだ。
この話は、自分事に置き換えても同じことだ。心身が張り詰めた状態で、他人を許すことはできない。警戒したまま許すとは、「さぁ殺せ」と開き直るようなものである。
だから、意識的に自分自身を”ゆるめて”やる。ストレッチをするのもいい。ゆっくり深呼吸を繰り返すのもいい。いっそ、趣味に数分没頭するのもいい。
困難ごとが起きた際に、他のことに手を付けるのは、無責任な行動ではない。むしろ、より冷静に、より的確な判断をするための一手である。
しっかりと自分をゆるめることができれば、そのまま流れで、自分を許せることができる。「まぁ、その場でブチ切れなかっただけマシか」という風に。
そこまで行けば、「まぁ、些細なことか」と、他者の言動も許せるようになる。怒りの感情は強く突発的なゆえに、クラッチが切れれば鎮火も割と早いのだ。
―というところまで書いてきて、ふと、そもそも「許す」という言葉の意味は何だっけと、気になってきた。
そこで辞書を引いてみたところ、そこに書かれていた意味に驚いた。まさに自分がつらつらと書いてきたことが、そこにバシッと述べられていたからである。
6 警戒や緊張状態などをゆるめる。うちとける。「気を―・す」「心を―・した友」
いい加減な論を組み立てていたわけではないと安心もするし、言葉を作った人たちも、僕と同じような感覚を抱いていたんだなと、感動する気持ちもある。
もっともっと、自分と他人を許そう。そのために自分に対しては、心身ともにゆるゆるくらいで丁度いいのかもしれないな。
繁忙期の最中、ふとそんなことを思った昼下がりであった。
では今日はこの辺で。