生徒の発言に対し、「なんでそんなことを疑問に思うんだろう」と思うことが、最近減ってきた。むしろ、「確かにな」と思う方が圧倒的に多い。
僕が知っている知識など、世界のほんのごく一部に過ぎない。教科書や参考書で切り取られた知識は、僕らが暮らす世界の目次のようなものだと言える。
jukukoshinohibi.hatenadiary.com
目次を知っているだけで悦に入ることは、恥ずかしい。僕はそう思うからこそ、自分の盲点に当たる問いを持ってきた生徒には、素直に感嘆し、一緒に調べている。
学びを面倒と思うようになったら、講師業は潮時だ。そう思うところもある。今のところ幸いにも、僕は知らないことを知ることは、とても楽しいと思えている。
不安は好奇心であり、未知は歓迎すべきことだ。30代の序盤でここに辿り着けたことを、今は喜ばしく考えようと思う。
ということで今週も、身近な謎に深い問いを投げかけてもらいに行こうと思う。
- 12月18日(月) 脳の音楽。
- 12月19日(火) 脳を覗けば僕らが居るのか?
- 12月20日(水) 「お前は誰だ?」
- 12月21日(木) 意識はいつ始まったか?
- 12月22日(金) ありのまま、という幻想。
- 12月23日(土) あなたの世界を僕は知らない。
- 12月24日(日) 「興味があること以外、断る。」
12月18日(月) 脳の音楽。
僕らの脳は、寝ている間も起きている間も、仕事をしている。その仕事の内訳は、なんとか波(は)の分析を手掛かりに、色々と研究されている折である。
リラックスしているときはこの波、緊張しているときはこの波・・という風に、状態と脳波の関係を調べていく。現代技術の進化によって為せるようになった技だと思う。
あたかも、脳波が織りなすハーモニーは、オーケストラのようだと筆者も書いていた。目に見えないところで、今も調和がとれた合奏が行われている。
僕らは頭蓋骨の内に宇宙とも楽団ともいえる何かを隠している。そう思うと、本当に不思議だなと、乏しい語彙力ゆえに表現が雑だが、どうしてもそう感じる。
12月19日(火) 脳を覗けば僕らが居るのか?
EEGやMRIの登場以来、脳内の可視化は急激に進んでいるとされる。見えないところを見えるようにするとは、簡単に聞こえるがすごい進歩だと思う。
僕も20歳かそこらの頃にMRIに入ったことはあるが、そのときは痛めていた腰の様子を撮影しただけだ。
しかし普段は見ることのできない自分の内側を観察させて貰えたのは、ある意味刺激的な体験だったと感じる。
では、そうやって脳を研究し、脳内の働きや脳波がわかれば、【意識】も可視化できるものなのだろうか?
僕は正直、ダウトだと思う。意識とは「空」のようなもので、絶対的な存在ではないと、なんとなく感じる。
うまく説明できないが、脳内をいくら覗き込んでも、そこに僕はいないように捉えている。
12月20日(水) 「お前は誰だ?」
鏡に自分の顔を映したとき、僕らは無意識にそれを【じぶん】だと認識する。
しかしドキュメンタリーだとよく見る光景だが、鏡に映るものを別の個体だと認識して威嚇行為などを行う動物もいる。
「これは私なのだ」という感覚は、これを考えても実に興味深いことだと思う。動物や赤ん坊に、この感覚はないということなのだろうか。
それとも、どこかに閾値があり、知能指数なりなんなりがそれを超えると、人間以外の生き物でも【じぶん】を認識可能になるものなのだろうか。
私を私たらしめるものは何か。二千年以上前から問われているはずなのに、未だに手掛かりすら掴めていない、ある種究極の命題ではないかと思う。
12月21日(木) 意識はいつ始まったか?
意識はこの宇宙においていつ誕生したのか?壮大なスケールな問いだが、確かに謎だと思う。
ビッグバンの頃は、世界は単なる元素のスープだったとされる。そこから惑星が生まれ、やがて生命が誕生した。
しかしそこから時間が流れると、例えば三葉虫は、自分をアイデンティティを持つ、他とは別個の個体として、各々を意識していたのだろうか?
おそらくそうではないだろう。では、改めて疑問が浮かぶ。僕らが感じているような意識とは、一体いつ誕生したのか?
一説には、紀元前8世紀頃に書かれたとされる文献の存在を根拠に、最遅でもその頃には意識が生命に備わったのだとされる。
しかしそれらはもう、一切の物証が残らない世界の話だ。例えばネアンデルタール人の意識など、もう今の僕らには知る由もない。
12月22日(金) ありのまま、という幻想。
意識とは、脳が語るストーリーなのか。錯視を引き起こす図形を見ていると、そんな風に思う。
例えば有名なのが以下の絵だろう。若い女性と老婆、あなたはどちらに見えるだろうか?
見たままを受信するのが脳の働き、というより、見たものを編集して受けとるのが脳の仕事らしい。
僕らが見ている世界は、真実の姿なのか、編集されたそれなのか。仮に校舎なら、なにか拠り所を失った心持ちではある。
12月23日(土) あなたの世界を僕は知らない。
昔から気になっていることがある。それは、視覚や聴覚が不自由な人が、世界をどう感受しているのかということだ。
光や音による情報が入ってこない状態で、何が脳内に想念されているのだろう。僕はそれを想像だにできない。
意識とは、取り込まれた情報と、経験値の集積によって解釈された、ストーリーだ。実際のそのものとイコールなのかと言われれば、やはりグレーに感じられる。
意識一つで世界は変わると言われるが、それは精神論でもなんでもなく、その通りなのだと思う。脳は見たいものを見ているのだ。
12月24日(日) 「興味があること以外、断る。」
押しなべて、脳は思った以上にワガママらしい。「どういうときに脳の回路は仕事をするのか」を確認する実験な話は、なかなかに興味深かった。
ある被験者は、特定の女優にまつわる刺激に"のみ"、脳が反応を示したそうなのだ。他は、潜在意識の時点で、なんとスルーしているという。
勉強が苦手な子は、そもそも脳が無意識にそれをカットしているがためなのかもしれない。潜在意識が「だが断る」と告げているのだ。
であれば尚更、興味もないものを詰め込むことは非生産的だとも思わされる。なるほど、すごく考えさせるテーマである。
では今週はこの辺で。