一瞬で切れたのだが、ある着信があった。その番号の主は、過去に相当上から目線でマウントを取ってきた、正直言ってとても嫌いな人である。
掛け間違いか、それともまたクレームか。そのときから1時間くらい経過したが、折り返しもないし、僕から掛け直すのも嫌だしで、放置している。(そもそも今日は休日だ)
しかし、今はっきりと自分の中で感情が乱れているのを感じる。ラベリングすらめんどくさいほどの不快感であり、押し込められたそれで胸が詰まったかのようだ。
目先の仕事に意識が向かない。着手すらできず、そのもやもやも相まって、すごく【クソ感情】に振り回されている状態だ。
許し難い相手に感情の手綱を渡してしまっている状況―。これほど口惜しいことは無い。感情を御すには、その正体を徹底的に掴み、客観的に理解することが大切だ。
今日はこの【クソ感情】を鎮めるまでのプロセスを、備忘録としてここに書き残しておく所存である。
感情は、すぐに脳をジャックする。
心が揺れたのを感じた際は、まずツールを用いて客観視することが大切。いつも通りプルチックの感情の輪を使いながら、適するそれを探してみる。
基本感情のみに注目すると、胸の内にあるのは「怒り・嫌悪・驚き・恐れ」といったところだと思う。
ヘンなプライドなど要らないので認めてしまうと、一番強いのは「恐れ」だ。また面倒なことを、腹立つことを、無理難題を言われることへの恐怖は、確かに感じる。
そして、恐れと反対の関係にあるのは怒りであり、これらの感情は、ほとんどの場合相容れないということになる。では僕は、何と怒りを混同しているのだろう。
恐れ+嫌悪か、恐れ+驚きか。このどちらも、”怒りに対してのリアクションとそっくり”だ。それぞれを見ていこう。
前者は「恥や羞恥心」、後者は「畏怖」だという。ただしここで、前者の感情には強い心当たりがある。恥。まさか、過去の強い恥の感情をフラッシュバックしているのか?
実を言うとここのクレーマーが嫌いなのは、僕自身がそのときに採ってしまった少し小賢しい方法にもある。マジで相手したくなくて、避けるような策を色々弄したのだ。
結果そのことをもマウントを取る材料に使われて、プロのクレーマーのめんどくささと、自分自身の器の小ささをまざまざと実感するに至ったのだ。
―ここでふと、立ち止まる。正直僕は、その面倒な相手自体を憎悪しているのか?冷静に考えたら、ここがまず歪んでいる気がする。
そして思うが、僕自身はその人がどこで何をしていようが、それこそ宝くじで1等が当たろうが、親と死別しようが、本当にどうでもいいと思っている。
むしろ僕が折り合いをつけるべきは、その人に対して使ってしまった姑息な手段を恥じている自分ではないかと思う。
僕がムカついている対象は、相手ではない。僕なのだ。僕の過去、みみっちい自分、そしてそれに付随した強い恥、である。
自分に対する強い恥の感情こそが、【クソ感情】の正体である。そう思うと、その人を許すというより、「じゃあ観点を変えよう」という思考に、自然と移行できる。
壁に映った幽霊の影を見て恐れるようなものだ。そうではなく、それを生じさせている照明や、幽霊自体の対策の方が大事なのである。
感情って、本当にアテにならないこともあるんだなと腑に落とせる、一つの好例だと解釈することにする。
では今日はこの辺で。