精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

最後の最後でメンタルを支えてくれるのは、結局”あれ”だよね説。

今日は、結局きついときに一番心の支えになってくれるものって何だろう、ということをテーマに記事を書いてみる。

 

正直言うと、今はめちゃくちゃな状態だ。仕事がカオスで、先が見えない闇を歩いている気分である。今日家に帰れるのは、家を出てから約12時間後だと思う。

 

もちろん12時間ずっと仕事をしているわけではないので、純粋な労働時間で言えばもうちょっと減る。だがそれでも、11時間ぐらいは仕事なわけだ。

 

そしてあまり先のことを考えたくないのだが、この生活が年明けまで続く。そして、年始の連休を挟み、またちょっと続く、という感じだ。

 

ぶっちゃけそのことを考えても、心身において結構弱ってるところがあった。これは正直、認めざるを得ない。

 

しかしこのとき、ふとあることを思い出してから、ものすごく心が軽くなったのを感じている。

 

今日はそのあることについて、記事をしたためてみる。

 

 

ありがとう艱難辛苦。

 

そのあることとは何か。それは、「20代前半の頃の闇の働き方に比べれば、今の方がとんでもなくイージーじゃね?」という気づきだ。

 

これ自体がいいことか悪いことかわからないのだが、とりあえずどれくらいの闇だったか、バレない程度に白状する。

 

20代前半、主に23〜24歳の頃、最初に配属された場所はなかなかにきついところだった。なんと、出社が朝5時。そのままだいたい閉店の夜8時までが、僕のシフトだった。

 

この時点でだいぶハチャメチャだったが、当時はまだ体力もあったのと、世間を知らなかったのもあって、半年ぐらいはそれで頑張れてしまったのだ。

 

ただ当たり前だが、その後ちゃんと病んだ。その結果、なんやかんやで別のところに配置替えとなったのだが、こっちもそこそこにアレだったわけで。

 

出社がやっぱり朝5時半から6時の間で、帰れるのがやっぱり夜6時とか7時とかだった。つまり12時間労働である。

 

この間に休憩時間はあるのはあったのだが、最大で30分とかだし、「満額で休むのは甘え」という風潮もあったので、無駄に衰弱していくばかりであった。

 

フル休みも月にも3日とか4日の世界だったし、改善していく未来が見えなかったのもあり、意を決してそこは辞めてしまった。

 

この間人間関係としても、正直感じていたのは孤独だ。元々あまりこの人付き合いが得意な方ではなかったのだが、その気質に体育会系のそれは相容れない。自明のことだ。

 

その時のスケールで今の状況を考えてみると、良いか悪いかよくわからないが、まぁヌルいなと。

 

あのときは15時間労働で半年やれたんだったら、今の11時間労働を1,2週間とかできないわけないじゃん、という。

 

過去の成功体験の中でも、ちょっとこじれた部類ではあのだが・・・。それを思い出して以来、今はなんか不思議と元気が出てきたところである。

 

「大きな嘘の木の下で」にも似たような話が書いてあるのだが、なんだかんだで最後の最後に踏ん張りを生むのは、感謝のような煌びやかな気持ちでは無いこともある。

 

むしろ、過去の辛かった経験と比較したり、心無い言葉をぶつけてきた相手への憎悪を思い出したりする方が、粘りとされる何かを生むことが多いと感じている。

 

本当に今はいろんな考え方を勉強しつつ、己のメンタルのケアに取り組んでいる折ではあるのだが、また別観点で気づきを得られて、良かったと思っている。

 

では、今日はこの辺で。

 

 

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