徹底的に「今と向き合う」ことは大事とよく言われるが、その言わんとすることはやはり抽象的だ。色々検証こそすれ、手応え勘は依然として弱い。
しかし、そうはいっても少しは前進をしているはずだ。そうでないとやってられない。ということで今日は、これについて自分なりの考えを一旦まとめておこうと思う。
インフルエンサーの動画を観たり、仏教哲学を学んでいたりすると、「今、このとき」にしっかり向き合うことがすごく大事だと、よく説かれている。
しかし、今に集中することは、やはりなかなか難しい。なぜかと言うと、理想とされる行動規範と、時に矛盾した響きを持つことがあるからだ。
例えば、やることが分かっているのなら、そこから逆算して行動を決めよう、といった教えがある。
これはつまり未来を見ているということだ。ならば、「今ここ」と向き合うって話と、どうしても矛盾してる響きが感じられる。そして、そういう解釈の方がむしろ自然だ。
この大切な教えと、どう折り合いをつけながら、「今ここ」に集中していくか。このことについて、自分なりに、よく最近考えている。
ということで、まだまだ中途も良いところだが、この記事で取り急ぎの暫定解をまとめておこうと思う。
今このときをダンスする。
僕が今のところ丁度いいと思っている落としどころは、未来のことはそれはそれで大事だと認め、ではそのために、今何ができるかというのに重きを置くというものだ。
未来に振り回されるのではなく、あくまでも現在に軸を置くということ。ゴルフで言うと、理想のスコアを意識しつつも、ショットの際はそれだけに集中する感じだ。
こういうある意味当たり前の話にたどり着くまで結構時間がかかってしまったが・・・。
実際、未来のことをぼんやり考えている際に、「じゃあ今どうする?」という自問を差し挟むと、建設的なアイデアに辿り着くことが多い。
例えば実際、2日後に割と面倒な仕事が控えている。それを「あーあ」とネガティブ一辺倒に考えるのではなく、「では今何ができるか?」と己に問うのだ。
これのいいところは、実はその未来の不安に対して自問自答すると、体感値として6割ぐらい、それは取るに足らないどうでもいいことに気づけるという点だ。
不安というのは、その対象について、自分なりの言語化が追い付いていないものに抱くと僕は感じている。だからそもそも論、不安には実体がないことも多いのだ。
ただ、それが仮に必要な不安だと分かったとしても、今するべき行動に繋がるという点で、自問自答は馬鹿にできないパワーを持っていると感じる。
例えば明後日の仕事が少しめんどくさいことが分かっているなら、今は授業準備なり、経験則を学ぶなり、ChatGPTに聞くなりして、どうとでも備えられる。
事象は未来の話だが、準備というものは、今すぐできるアクションだ。論理的に考えて「必要」と思うことをやっておけば、基本間違いはないだろう。
未来に対する不安が厄介なのは、それ自体に意識のリソースが全て食われてしまうからである。だから対症療法でもなんでも入れておかないと、不健全に至る。
正直不安は、それに囚われていること自体を認知するのがそもそも難しい。だからこそ、工夫して認知し、現在の時間軸にまで落とし込むのが大事だとつくづく思う。
感情に善し悪しは無い。どんなものも、解釈と使い方次第なのだ。そのことは肝に銘じたいと思う。
ちょっと尻切れトンボだが、今日はこの辺で。