精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

2024年の目標は「理性と感情の落としどころを意識できるようになること」です。

この記事を書いている今は、2023年があと5日で終わるという時分である。毎年思うことだが、気付けばもうカレンダーの最後の行になっている、という感じだ。

 

今年を振り返るには少し早いのだが、直感として思う課題が一つ。僕は我ながらゼロヒャクで考えるという思考の癖があり、特に今年はそれに振り回されることが多かった

 

なにかミスやヘマがあれば、この世の終わりみたいなショックを受けて、自分が全ての責任を負わねばならないという意識が暴走する。これは感情が全ての状況だ。

 

しかし同時に、「いやそれ、俺のせいじゃないじゃん」という理性も、どこか強い説得力を帯びて、脳内に浮かんでいるのも感じている。

 

本来、感情と理性はそれを活用して落としどころを探るべきツールなのに、僕は2023年、その2つをずっと思い切り喧嘩させ続けてしまったのだ。

 

極論と一般論を”混ぜる”ことで、建設的な落としどころが見つかるはず。永遠にバチバチさせていたら、何かが歪むばかりか、疲弊するのも自明なのに、だ。

 

ということで時期としては少し早いけど、コツコツと2023年の課題点を浮き彫りにするため、この記事をしたためたいと思う。

 

 

理性と感情。極論と一般論。自責と分担。理想と現実。

 

最近、4冊目の著書を読むことで、ようやく強い納得感を持って理解できた考え方がある。それは、下園壮太氏の提唱する、「7-3バランス」だ。

これは自衛隊でもよく使う考え方らしく、「進むか、退くか」の極論で二択にするのではなく、その間に落としどころを見つけようという意識のことを指すようだ。

 

まさにその二極的思考に悩んでいた僕にとって、最も必要なアイデアだと思えてならない。二つの極論を点で結び、丁度いいところを探すのだ。

 

ちなみにここで言う7-3バランスとは、「ある対象を正反対の二つの観点から分析したうえで、大体真ん中よりどっちか寄りのアイデアを考えること」だと捉えている。

https://toyokeizai.net/articles/-/669685?display=b


よくわからないので、具体例を基に考えてみる。例えば本書では、「転職」が例に取られていた。

 

この際、極論二つに分解すると、以下のどっちかになる。

 

① 辞表を叩きつけて即刻辞める (完全反発)

② イエスマンになって現状に耐える覚悟を決める (完全服従)

 

ちなみにこれらはどっちも感情的な結論であり、それゆえ仮にそれに従ったとしても、好ましくない結果になることの方が圧倒的に多いのだそうだ。

 

だから、7-3バランスで考える。①の要素が7,②の要素が③であれば、どんなアクションになるのだろうか

 

例えば転職サイトに登録するというのもそうだろう。あるいはいっそ、面接の約束を取り付けてもいいかもしれない。既に辞めた人に話を聴いても良さそうだ。

 

逆に、②の要素が7,①の要素が③ならどうだろうか。例えば有休の申請を入れてみるとか、そういうところになるのかもしれない。

 

これは他にも応用が利く。物事を超悲観的に考えて、その後で超楽観的に考えてから、では7-3だとどうなるかを自問自答すると、不思議なほどバイアスが取れていくのだ。

 

例えば冬季講習真っただ中の今、最悪のシナリオはとにもかくにもコマを組み切れないことだろう。結果自分が全てを背負う、誰も頼れない。これが最悪のシナリオだ。

 

一方、自分が受け持つコマをゼロにして、徹底してラクできるというのが超楽観的シナリオに当たる。ではそれぞれバランスを取ると、どうなるか。

 

自分が担当していない生徒のコマは基本受けない?特定の科目以外は自動的に依頼を出す?期日を後ろに倒す?等々、この辺が”現実的”だと考えられる。

 

基本的に超悲観的な未来も、超楽観的な未来も、どっちも起きないのだ。現実を直視しているかと言われれば、極めて疑わしい。

 

2023年はこれが出来ず、色々なことにおいて、無駄に疲弊した。2024年、僕は極論と極論の間を見つけられるようになりたい。それも、できるだけ瞬間的に、だ。

 

感情的でもなく、理性的でもない、中間の辺り。僕にとっての最適解もまた、その辺にある気がする。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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