精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

ストレスとエネルギーは別物のパラメータとして考えよう。

色々勉強する中で段々とそう思うようになっているのだが、体調を考える際、ストレスとエネルギーは一括りにせず、分けて考えた方が良い気がしている。

 

そのきっかけは、最近、下園壮太さんの新刊(に当たるのかはわからないけど)、『心をリセットする技術』という本を読んだことだ。

この本が気になった理由は、著者自らがブログか何かで「自分の哲学を込めたものである」と書いていたからである。それはもう、気になって仕方ない。

 

実はこの方の著書は今まで3冊ほど読んできたのだが、この1冊を読んで、その全てに流れる哲学を確かに感じ取れたと思える。それくらい、深く体系的な本だった。

 

それを読んでいると、ふと気づいたことがある。それは、下園氏は全ての著書において、確かにストレスとエネルギーを明確に切り離して話を進めているのだ。

 

そしてこの観点はむしろ、僕を含めて、持っている人の方が少ないとも思う。それくらい盲点でありながら、とても重要なヒントだと感じている。

 

ということで今日は、それに纏わる話を書いてみる次第である。

 

 

ストレスを解消すればエネルギーが満たされるわけではない。

 

ストレスに晒されると、人は大抵”パーッと”はしゃいだり、旅行へ出かけたりしてそれを発散しようとしがちである。

 

コロナが収束した今、大っぴらに飲み会をしたところで誰も怒らないとは思うが、知っておきたいのはその行動のために”エネルギーを使っている”という点だ。

 

これを考える度いつも思い出すのが、昔、ゲームボーイアドバンスであった実況パワフルプロ野球か何かのゲームだ。

 

そのシナリオモードにはストレスというパラメータが存在する。日々の練習やイベントでそれは増減し、もし最大値になると、「暴れる」というコマンドしか選べなくなる

 

それこそ手当たり物を壊すことしかできなくなるのだが、その後確かにストレスの値がものすごく下がるものの、スタミナとかエネルギーは、もっと食われるのだ。

 

これはゲームの世界だけの話ではなく、実際がこうなのだと思う。自分の体調は、ストレスとエネルギーを別々のパラメータとして考える方が適切なのだろう。

 

何よりその方が、より客観的に、かつ俯瞰した目線から物事を見られるような気がしている。そして下園氏は、疲弊した後はストレス解消前に回復が優先だと説いている。

 

だからすごくシンプルかつ効果的な施策として、ひたすら寝るのを挙げている程だ。そして大切なのは、その何もしなかった時間を充実した時だと考えることである。

 

1日中寝たことを、時間を無駄にしたと思ってしまったら、休養の意味がない。何も創造的なことをしなかった、なんと有意義なんだ!と思うくらいで丁度いいらしい。

 

それを思うと、個人的には、体を休めながらストレスの解消もできる何かが最強だと思うし、実は下園氏も、【静のストレス解消】という呼び方で挙げている。

 

ほとんど激しい動作を伴わず、ゆっくりとした時間を過ごせる何か。例えば絵を描くのも良いし、散歩に出かけるのもイイだろう。

 

もちろん、たまには思いっきりはしゃいで、遊んだっていい。しかし自分事の闇を白状すると、僕は今、半休も出社とカウントすると28連勤の途中なのだ。

 

現時点でストレスが溜まっているのを自覚するのは勿論だが、体力ゲージが黄色と赤を行ったり来たりしているのも感じている

 

この状況で、例えばソロキャンプに行くとすると、あれはあれで体力も結構使うので、ちょっと勇み足が過ぎると思う。まずは何より、徹底してゴロゴロしようかなと。

 

理想は温泉を2つか3つぐらいはしごして、〆にちょっと高級よりなご飯を食べるという1日なのだが、欠点としてはなんだかんだで金と、そして体力が必要なことだ。

 

だから、年末年始は、仕事が納まり次第、徹底して僕は休む。一定の期間を決めて、仕事の連絡も断固として無視する

 

この期間を通じて僕は、徹底した静のストレス解消法に向き合い、そして溜まりにたまった毒を、穏やかに過ごすことによって解毒し尽くす所存である。

 

―ところで、なぜ今まで、ストレスとエネルギーを別個のパラメータとして認識してこなかったのだろうか。多分、単純に体力があったからだ。

 

子供の頃は、嫌なことがあっても友達と野球なりゲームなりをしていたら、綺麗サッパリ忘れたものだ。そして飯を食ってウンコして寝ておけば、それで幸せだ。

 

そういう原体験を積み重ねていると、それ以外のストレス解消法を知らぬまま、気付けばオッサンに片足を突っ込むようになる

 

ただ悲しい話、大人になればなるほど、やっぱり子どもほどのレジリエンス、いわゆる回復力は、どんどんと失われていってしまう

 

変な話、切り傷とかをすると、「あれ、こんなに治らんもんだっけ?」というぐらい、その治りが遅くなっている。

 

もちろん、あくまで溜まっているのが精神的ストレスのみであり、エネルギーは満ちているという状態であるなら、パーっと遊ぶ方が理に適っている。

 

しかし、もしそれをするエネルギーが無いのであれば、有意義に寝続けることで、それを満たす方が先決である。怠惰は美徳だ。どんどん休もう。

 

ということで話をまとめると、まずストレスとエネルギーは、別々のパラメータとして認識する方がベターだ。

 

ストレスが溜まっていてエネルギーが残っているなら、遊ぶのも一手だが、エネルギーが枯渇しているなら、なるべく静かに過ごすことで、リフレッシュを狙おう。

 

ちなみにそもそも論、ストレスが溜まっているのか、エネルギーが欠けているのか、それらを見抜く方法って何なのか少し考えてみたが、しっくりくる観点が1つある。

 

例えば多忙といった、原因となっているものが消えるとすっと体が軽くなるのが、ストレス過多の特徴で、終わっても身体が重いままなのが、エネルギー不足の特徴だ。

 

例えば僕はつい先日まで、「教育相談」という大変神経が張り詰める話し合いが連続してたのだが、長い睡眠を心掛けていたので、終わった瞬間身体が軽くなった。

 

となれば、このだるさの原因は、ストレスだったということが、この観点からもわかる。また同時に、エネルギー自体は、特に問題無かったことも。

 

ただ、今は長時間労働必須の冬季講習を何コマも経たため、座ったらもう立ち上がるのが大変なぐらい、エネルギーが尽きたのを感じている。

 

このコンディションで遊びに出掛ければ、2倍モードが無駄に長続きしてしまうだけである。それは何とも、不毛なオチだ。

 

ということでここに書いたことも1つの物差しとして、冷静に体調を観察の上、適切なご自愛をしてもらえればと思う。

 

では今日はこの辺で。

 

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