精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「したいこと」を探すくらいなら、「なんもせん」方がマシだ!!!

夏の殺人的なスケジュールが過ぎ去り、そろそろ平穏な日々が戻ってくるはず、というところに来た。

 

ただこの2ヶ月は、僕から「余暇」の過ごし方を忘れさせるのに、十分すぎる期間だったらしい。いざ休みがあったとして、ぶっちゃけマジで、暇なのだ。


そして暇というのは僕にとって無性に勿体ない時間であり、だからこそ、大抵はこう思ってしまう。

 

「終わってねぇ仕事を片付けた方がマシだ」

 

不思議なことに、ふと思考をそっちに向ければ必ず、終わっていない仕事は転がっている。だから暇潰しには困らない。休日だろうが僕は大抵、職場にいる時間がある。

 

それを咎められても、「休んでも、したいことがないんすよねー」という結論に至るため、上司としては手を焼いている存在だと思う。

 

無理をすることは微妙だよねという結論に、他人の例を見ながら至っているクセに、自分は無自覚に、いわゆる「無理」をする状態から抜け出そうとしない。

 

これはなんと気持ち悪い状況だろう。すごく打破したい、この状況。ワーカホリック(仕事依存症)はバカげていると本に書かれた文言で頭を殴られて以来、そう感じている。

 

だから具体的な話を始めねばならない。しかしやっぱり、今の僕にしたいことは無い。キャンプか?釣りか?いや、まずはとにかく、心身がウキウキしてこない。

 

今日はそんな状況においてまずやるべきことについて、自分から自分に助言を送るつもりで、記事に書いていこうと思う。

 

 

「したいこと」を探すくらいなら、「なんもせん」方がマシだ。

 

ということでここからは「助言」という設定のため、フランクな文体で書いていく。

 

・・・・・・・・

 

なるほど、お前は今、したいことがない、と。だから暇で、暇ゆえに堪えられないから、仕事をして時間を使いたいのだ、と。

 

そしてそれが自分の体を痛めつけていることにも気付いている、と。

 

いや、それは嘘でしょ?気付いていると言葉にしてるだけで、実際は考えてないでしょ、その辺?

 

したいことがないってのはつまり、お前、疲れてんだよ?何か自分のために楽しいことをするってことにもエネルギーは要るんだけど、それすら尽きているんだよ!

 

それを充填するため、もうマジお前、しばらく何もすんな。それくらいがいい。ホリエモンも著書で言ってたでしょ?したいことが閃くまではゴロゴロしとけ、って。

人間が心身を回復しようと思ったら、やっぱり何もしないことがベストなんだよ。ここでいう何もしないってのは、頭の中での考え事も含むからな?

 

一時期日課にしていた瞑想を思い出して、起きたら本当に何もしない。野原で朽ちている無縁仏の骨の様に、ただただそこに在るだけってのをイメージしろ

 

そういえば、知ってるか?うつ病ってなんで存在するかというと、身体にエネルギーが完全に無くなったとき、休ませるために脳が機能を制限するためって説もあるぞ。

 

気合や根性が勝ち続ける限り、エネルギーがゼロの身体がそれでも無理やり動いてしまう。それは命の危機に他ならない。

 

心のせいで身体が動かないとき、それはお前の無意識からの、もう動かないでくれ、死ぬぞという優しさゆえのメッセージなんだ。そう思って、受信しろよ!

 

「心の疲れをとる技術」でも書いてあった話だが、オメェは2倍モードにもう2ヶ月くらいいると思え!気力が蝕まれた状態で行ったり来たりしてんだよ!!

あっ、お前今、「休むとなんか申s」くらいまで考えただろ?思い違いだよアホ!いいか、お前は組織の一員であり、スタメンでありながら同時に控えでもあるんだ!

 

控えの選手の役割は、体力を温存しておいて、ここぞというところに代役をキッチリ務めることだろ?それなのに、控えながら体力と気力を浪費するとか・・・・

 

「愚かだな」

 

・・って三島一八に吐き捨てられそうな暴挙だぞマジで!!「休むことは悪」とか言う奴の頭が○○しいんだから、そんなもん考慮に入れんな!考え事の起点にすんな!!

 

今度の休みは数日後にあんだろ?もう、何も予定入れんな!行きたいと本心から思わない限り、釣りにもキャンプにも行くな!なんもすんな!

 

いいか、お前は、無縁仏の骨だ!お前は草原に打ち捨てられている!感情もない!思考もない!秋風に晒されながら、ただただそこに転がっているだけだ!

 

そんな心持で、なにもすんな!代打としての仕事を全うしろ!

 

・・・ということで僕は次の休みと、仕事に行く前の時間、しばらくはなにもしないと決めた。死んだ自分を想像するということではない。

 

”じぶん”という輪郭を消して、周りの環境に溶け込むような感覚。口で説明するのは難しいが、僕なりの”空”の解釈は、今のところこんな具合である。

 

空っぽを通り越して自分が居ない世界を想像する。病的なことを言っている気がするが、ぼーっとすることは意外と難しいのだ。

 

では今日はこの辺で。

 

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