精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【英文読書ルーティン日記158】"THE GREAT UNKNOWN"読書感想ブログ21 ~私と脳と感情と~

僕らは頭蓋骨の中に脳を格納した状態で、行動している。このことに意識的になるのは極めて難しい。取り外した時点で「死」だからだ。

 

ポータブルな物のはずなのに、調べれば調べる程、宇宙に匹敵する謎や複雑さ、個性が内包された場所。この臓器は、果たして一体どう定義すればいいのだろうか。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

脳は意識を生み出す場所。では脳が僕らそのものなのだろうか。献体の脳を手に取ったとき、それは誰かを抱いていることを意味するのだろうか

 

考えれば考える程、頭がおかしくなりそうだ。そのもつれた何かを解きほぐすため、引き続き諸々、読んでいきたいと思う。

 

 

12月25日(月) 集中オンオフ論。

集中が切れるタイミングを自覚することはかなり難しい。性格に言うと、切れた瞬間について、自覚がないのだ。

 

大体は、「なんか気が乗らないな……」という状態に入ってからそれを自覚し、「疲れてんだな」と意味付けをすることとなる。

 

スイッチのオンとオフが切り替わるように、意識はそうできるものなのか?昨今このテーマの研究が話題だが、やはり日進月歩、説が二転三転しているイメージだ。

 

集中して集中して、それから一気に弛緩すると、素晴らしいアイデアを閃くことがある。だがそれを狙って引き起こす術は、未だに謎に包まれている。

 

12月26日(火) 【型】に熟達せし臓器。

www.youtube.com

 

有名な動画に、↑みたいなのがある。これは「ファ」の口の動きに、「バ」の音をアテレコしているそうだ。

 

とても不思議なのだが、この動画は目を閉じたときとそうでないときで、聴こえ方が異なる実際は違わず同じ音なのに、だ。

 

脳は聴覚だけでなく、視覚をも動員して音を処理している証左に当たる。しかもどうやら、視覚の方が勝るようだ。

 

僕らの脳は徹底して、世界をパターンに当てはめようとする。これは紛れもない知恵の結晶だが、同時に騙されやすいという特性を帯びているのも、また面白いと思う。

 

12月27日(水) 空性の端緒に触れた、のか?

 

水の分子は濡れていない。だが、水に触れると「濡れた」と感じる。閾値を超えた刺激に、何かしらの意味付けを無意識に与えるもの。それはなんなのだろうか

 

この観点から周りを見渡すと、色んな常識に疑義を向けられる。

 

なぜ僕はこれを電柱と解釈しているのだろう?ただのコンクリートでできた、大きめの棒ではダメなのか?

 

なぜ僕はこれを溝と捉えたのだろう?川とは呼べないだろうか?

 

無意識が処理した情報を、あえて意識的に捉えようとすると、あらゆる物事が不安定な存在に切り替わる。

 

絶対的な物は、この世に無いという「空」の要諦が、少し掴めたかもしれない。でも、それもまた、曖昧な感覚である。

 

12月28日(木) 解放か、閉鎖か。

 

植物状態という言葉がある。脳死と異なり、脳の根幹は生きているが、思考と行動を司る部分が完全に停止した、昏睡状態を指す。

 

生きてはいるはずなのに、一切の意志疎通を図れない。家族も辛いだろうが、当人は生き地獄だろうなと、昔から僕も恐れている。

 

しかしながら、脳は思ったより自由らしい。

 

ある実験によれば、実際に手は振れなくても、脳内で手を振るよう指示を出すことで、患者は外界と簡易的なコミュニケーションを取っていると分かったという。

 

想像による身心の拡張と言えば堅苦しいが、それがあることによって、仮に不慮の事故で自分の中に閉じ込められても、僕らは案外自由なのかもしれない。

 

なんとも救いになる発見だと思わされる。

 

12月29日(金) 【型】を意識的に破壊できるか。

 

要領がいい人がいる。今のところこれは、物事のパターンを掴むのが上手い人のことだと考えている。

 

ゲームでも勉強でも、知識や経験や試行を通じてパターンを素早く見つけ出し、それに則って自らを運用させるスキル、という感じだろうか。

 

ところで脳は、仕組みとしてそのプロだという。顕在意識では気付いていない内に、無意識のところでパターンを見つけ、しれっと命令を出しているそうだ。

 

スポーツでフェイントに引っ掛かってしまうのは、アクションのかなり前の段階で、脳が命令を出しているためなのかもしれない。

 

無意識の部分に命令を出させず、ギリギリまで自分が判断をコントロールすること。これができると、確かにもう少し主体的に、人生を過ごせそうだと感じている。

 

12月30日(土) 自由意志とはなにか。

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意識とアルゴリズムは、似て非なるものとも、本質的には同じものとも言えるなと、今日ふと思わされた。

 

今でこそAIの進化は目覚ましいが、あれは例えば自由意思と評していいのだろうか?なかなか難しい問題だと思う。

 

そもそも自由意思とは何かを考えるのも、極めて禅問答的で難しい話だ

 

ただ僕は、それこそいわゆる【感情】ではないかと思う。【感情】をAIは確かに再現できるが、それそのものを味わうことはまだできていないように思う。

 

逆に言えば、感情さえ味わえるほど知能が進化すると、それは意志を持った存在と呼べるのかもしれない

 

もしそうなったら、僕は孤独や対人といった言葉の意味合いが変わる気がしているのだが、皆様はどう思われるだろうか。

 

12月31日(日) 無意識の自分。

 

脳死と昏睡は何が違うのか。端的には、機能が壊れたか、機能が単に休んでいるだけか、という違いだといえる

 

そして機能が休んでいるときでも、脳は一定の働きを行い続けている。だから僕らは寝返りを打つし、夢を見るのだといえる。

 

無意識になっているとき、僕らは何を考えているのだろう。矛盾しているとしか思えない問いだが、実際はそうではない。

 

筆者もまた、それを知るために、自分の脳を調べる施設に再度足を運んだようだ。その探求心、本当に感服させられる。僕も無くさず持ち続けたいものである。

 

では、今年はこの辺で。

 

 

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