今日で、ある意味区切りを迎える。12月頭からずっと続いてきた、心身をピリピリに張り詰めて、休日も全て返上せざるを得ない時期が、やっと終わるのだ。
すなわち、精神的にきついか、肉体的にきついか、あるいはその両方かが1日の大半を占める日が終わる。ここまで長期にわたって大変だったのは、本当に久しぶりだ。
さて。僕は物事が全て終わってから、そこでじっくりと反省・検証・分析をするのが、実は好きではない。
ピークエンドの法則という言葉があるように、苦しかった日々がバイアスで無条件に美化されて、「まぁよかったよね」という薄い反省と検証で終わることが多いからだ。
むしろ、理性的になることは後でいくらでもできるので、今は感情的な検証でもいいとさえ感じている。感情は移ろい、気付けば思い出せないほど薄くなるからだ。
生々しい記憶が色濃いうちに振り返っておくことこそ、今度の糧になりうる。そう信じているので、忘れる前に率直なことを、ここに記録しておく次第である。
反省1:”きついけど短い”を狙った結果、”きついし長い”日々になってしまった。
今回の「繁忙期」は、あの山を越えれば落ち着けると思ったら、また別の山が連続現れた・・・という比喩が、とてもしっくりくる状況であった。
中には、病欠スタッフの代打や調整等、偶発的すぎて予測不可能なものもあったが、それの検証はしても仕方ないので割愛する。
ではそれ以外に、自分がコントロールできたはずのところでバグを生んだものは何なのか。同業者向けになるが、教育相談のシーズンを少し遅らせたことがそうだと思う。
これは理由があって、模試や定期考査の点が出て、材料がたっぷりあった方が話し合いがし易いと思っていたためだ。しかし、別に無くてもできたと、今なら思う。
そうやって遅らせる必要があるところと、別に前倒しでやって差支えないところをぐちゃっとした結果、緩やかに途切れず面談が続き、よって休みが霧散したのだ。
自分の休みを優先すると言えば聞こえが悪いのだが、少しくらい顧客ファースト過ぎない部分があっても悪くなかったよなと、今は割と納得している。
反省2:バイアスに振り回されてしまった。
と同時に、自分の中の常識と価値観にメスを入れる必要があるとも感じた。僕の中の常識と違うことはおかしいのだから是正せねば、という考えがおかしい、という風に
居酒屋で言う年末みたいに、「繁忙期は忙しいのが当たり前」という前提があると、それは同時に、忙しくないことはおかしいという考えを生みがちだ。
それ自体は存分に焦るべき危機だともいえるが、だからといって、忙しいことは無条件に正しいという帰結にはならないだろう、と。これに気付けなかったのが僕だ。
フル休みがあることは恐怖で、暇な時間があるのは異常。だからすぐすぐしなくてもいい事務作業や清掃などでガツガツに埋めて、仕事は勿論抱え込む。
これは組織全体という目線で見ると、単に作業効率を下げただけではなく、なんならガン細胞のような働きをしてしまったことに他ならない。
僕本来の仕事を忘れ、ある意味エゴ丸出しの行為に走ってしまったことは、かなりの反省ものだ。
このバグを改善するシステムやプログラムはどんなものか、あくまでドライに、冷静に、割り引いた目線から考えたいと思う。
反省3:自分をプレイヤーとして使い過ぎた。
今回の冬季講習の一番の課題は、端的に言えば自分を使いすぎたことだ。「とりあえず俺に振れば楽だ」という慢心や面倒くさがりが、この多忙を招いたのだろう。
正直、監督が多忙で潰えそうになる状況は、本当に無責任だ。美談でもなんでもなく、ちゃんと仕事を果たせと、他人に対してなら好きに言えてしまう。
だが、自分事になると、こんなにも無自覚なのか。すごく呆れてしまう。だが、気付いたら直せると信じて、精神的に悔む前に具体的な施策を講じたいと思う。
・・・とはいえ、振り返れば小さいボヤはあったものの、大炎上という憂き目には遭わずに冬季講習を運営し切ったのもまた事実だ。僕はそっちの功績も自分に認めたい。
そう思っていたのだが、職場の人がコロナに罹患し、明日からしばらく配置換えが連続するという達しが来た。山が消えた瞬間、山ができた。耐えられるのか、俺。
疲労が溜まった状態を、根性論と終わった後の美化で正常化するのは断固拒否だ。この山が終わったら、誰が何と言おうが、迷惑になろうが、フル休みを絶対に取る。
てことで今日はこの辺で。