「仕事は楽しい」というと鼻白む人がいる。「そんな甘い考えで、ナメてんのか!」とか、「仕事は辛い、だから給料が出るんだ!」というのが大抵の反論だろう。
僕自身、心のどこかで、「仕事が楽しければワケないよな」と斜に構えている部分が無いわけでは無かった。しかしその考えは、今や木っ端微塵に砕かれようとしている。
そのきっかけは、佐渡島庸平氏がnoteで推していた、【予測不能の時代: データが明かす新たな生き方、企業、そして幸せ】を読み始めたことにある。
まだ5、60ページしか読んでいないのだが、既に驚きの連続だ。割と直感に反する部分もあるが、その裏に膨大なデータがあるため、認めるしかないという強さもある。
そしてまだ序盤なのだが、「やはり仕事は、ひいては職場は、楽しい場でなきゃアカンなぁ・・」と、自分のみみっちい矜持を引っぺがされた気持ちになっている。
今日は読書感想文というにはあまりにも序盤なのだけれど、既に学びが多いので、一旦棚卸ということで記事にしておく次第である。
幸福だから仕事ができる?仕事ができるから幸福になる?
ニワトリタマゴな話だが、幸福だと仕事ができるのか、仕事ができるから幸福になるのか、果たしてどっちなのだろうか。
先入観としては、仕事ができれば達成感・充実感・評価を得て、楽しくなり、結果それが幸福に繋がるというサイクルのように感じられる。
しかしビッグデータが示していたのは、はっきりと逆の関係だ。まず幸福ありきで、その後に仕事の質が高まっていくそうなのだ。
ポジティブなマインドがあるから、必要だけど億劫なことに手を出しやすくなり、また雰囲気がポジティブだから、共有も一つのコミュニケーションとして行われる、と。
それ自体、すごく納得感がある。というより膨大なデータに裏打ちされているんだから、反論を差し挟むだけ愚かに思える。まずは素直に「そうなんだ」と受け止めたい。
ちなみに著者は、この組織内で幸福が果たされている状況の4つの特徴を、頭文字をとって「FINE」という言葉にまとめている。
まだ覚えきっていないので雰囲気だけの説明に留めるが、逆に幸福な状況とは真逆の組織の特徴を述べた方がわかり易いので、そっちを紹介する。
1つ目は、組織内における人物関係が閉鎖的であることだ。部内だけ、酷いときは特定の上司とだけしか会話・交流する機会が無いと、幸福さから程遠くなっていく。
2つ目は、必要な時に適切なやり取りができない状況であることだ。例えば、会議以外に業務のやり取りをする機会が無いとなると、それはすごく不幸せである。
3つ目は少し意外なのだが、ノンバーバルなコミュニケーションが発生していないことである。いわゆるジェスチャーが、日頃会話する中で使われていない状況である。
これについては一例が浮かぶ。コミュニケーションとは名ばかりで、仕事のやり取りが一方的か説教かという状況下では、人は手を前に組んで萎縮するばかりだ。
そして最後に、意見を周りから聞いているようでありながら、実際には一部の人だけが決定権を握っている状況を容認すると、不幸感を招くと指摘されていた。
これらの要素はいずれも、あればあるだけ幸福感から雰囲気を遠ざける毒のような存在だ。
僕の仕事は、自分の振る舞いや言動も含めて、その毒がないか気を配り、もしその予兆が見えたら徹底的に取り除くことである。
ただしこれは小難しく定義すればそうなるという話で、シンプルにまとめれば、「楽しい職場」を日々考えて、そこに近づける施策を打ち続けるというただそれだけだ。
これは、僕が脳内にただ据え置き続けても、何も意味を成さない。何とかして発信し、インテリア等を通じて表明し、文化として醸成していく必要がある。
一朝一夕には絶対に果たせない目標。しかし、追いかけ続ける限り、充実した日々の中で溌溂と仕事に臨めそう、というワクワク感もある。
僕自身は決してネアカでも陽キャでもないのだが、だからといって皆が楽しめる場を創る才能さえないかと言われれば、それはひどい話だろう。(可能性はあるが)
闇のあるお笑い芸人の方が楽しいことを言えるように、僕も自分という枠を超えて、「場」を観察できる視野を一層獲得していきたいと思っている。
では今日はこの辺で。