今日は少し変なタイトルだが、同期コミュニケーションを避ける方法について、謎のことを閃いたので記事にしてみようと思う。
以前も触れたことがあるが、僕は電話が大の苦手だが、実を言うと1:1のあまり話したことが無い人との面談も苦手としている。具体的には、とても疲れるのだ。
1ヶ月で30コマ近くの面談を行った月もあるが、大袈裟でもなんでもなく、それが終わった後は鬱病みたいなコンディションになり、すごく消耗していたことを実感した。
元々僕はどうやら「感情ワンネス型エンパス」という思考の癖があるらしく、良くも悪くも、共感力が異常に強いようだ。
「めだかボックス」にもそんなキャラが居たが、特にネガティブな感情を強く受信し、僕は多分、実際にそれを己の内に生じさせることができる。感情を憑依できるのだ。
しかしその感情はあくまで、僕の推察に他ならない。そして僕は基本ネガティブだ。他者は基本、怒りや苛立ち、嫌悪や不安を常に抱えていると、本気で考えている。
呑気に草を食みながら、時折ピシッとハエを尻尾で打ち殺す牛。他人をそう評するくだりが【人間失格】にあったが、僕はその記述に心底同意する。
さて。だからこそ、そうした特性を矯正する方法をずっと考えてきたが、それは多分無理だし、ある意味強みを殺すだけだということにも気づきつつある。
それゆえ、最近はどうすれば”建設的に”同期コミュニケーションを回避できるかをずっと考えて、行動しているつもりだ。しかしその糸口は掴めず、時だけが流れた。
そんな最中、建設的にそれを回避する術として、ひとつヒントになりそうなことを思いついた。今日はそんな話を書いてみようと思う。
いつ、同期コミュニケーションは必要とされるのか?
そもそも同期コミュニケーションの利点は何か。それは何より、相手の時間と空間を独占できるからこそ、リアルタイムに反応をやり取りできる点だろう。
つまり、アイデアをぶつけ合い、一つの考え方にまとめるという意味では、使い方さえ間違えない限り、最速の方法の一つに勘定しても過言ではなさそうである。
一方で、非同期コミュニケーションの利点は何か。それは、空き時間にやり取りできるため、お互いの手を邪魔せずに進められることだろう。
例えば電話が鳴れば、強制的に手を止めざるを得なくなり、自分の時間を明け渡すことが必須とされる。その人の仕事のリズムや集中状態は、お構いなしに、だ。
だがテキストメッセージであれば、今抱えている仕事に一区切りがついて、一服入れようかというタイミングにサッと返すだけで、話が進む。
それに、文字に残せるという特性上、言った言わない、伝わった伝わってないということを証拠とともに防げるというメリットもあげられる。
人を選ぶが、諸々優れたツールなのである。少なくとも、人の話を処理するのがとても苦手な僕にとっては、文字になっていることはこの上なく有難い。
さて。これらの利点を2つ並べてみると、気付くことがある。基本、時間にゆとりがあれば、非同期コミュニケーションがベースで良さそうなのだ。
その中で説明が不足しそうなところだけ、数分程度の対面の確認をすればいい。実際、【予測不能な時代】でも、ミクロなコミュニケーションは推奨されている話だ。
その観点から考えると、ハッとした。電話が発生するタイミングは大抵、主に締め切りが迫っていて、急ぎ決める必要がある際など、いわば緊急性が高いときなのだ。
仕事が抜けていたとき、リマインドしても反応がないとき、締め切りギリギリになって焦っているとき。同期コミュニケーションは、そういったときに求められる。
もちろん、例えば学園祭の話し合いみたく、大きなイベントの方向性を揃えておく場合などはその限りではないのだが、基本は、”急いでいるとき”に違いないだろう。
逆に言えば、余裕を持って締め切りに向けて作業を進めておくことで、すごく建設的に電話や会議を回避できる可能性があるという話ではなかろうか。
これには思わぬ副産物があった。僕は元々、予定を前倒しして進めるのが苦手なタイプなのだが、電話リスクが減ると思えば、嬉々としてできそうだと予感しているのだ。
今後は実験的な取り組みとして、期限の1週間以上前に物事を終わらせるようにしようと考えている。それでどこまで、同期コミュニケーションは減るのだろうか。
もちろん巻き込まれ事故みたく、他者がボヤを起こして会議に呼ばれることはあるだろうが、自分がそうせざるを得ない状況を回避できるだけでめっけもんだろう。
それくらい電話も会議も嫌いなのだ。迷惑掛けないよう工夫はするので、なるべく回避させてほしいというのが、どうしても本音なのである。
ということで、今日はこの辺で。