行動とは何か。よく、「いいから行動しろ」と言われるが、具体的な指示内容は極めて曖昧であり、言われるたびに腑に落ちないような感覚を持っていた。
今日ふと、それはなぜなのかを考えたとき、一つの心当たりに行きついた。それは、自分の中で「行動の基準を作っていない」ということだ。
そもそも自分の中で基準が無いのであれば、それを実行することなど無理な話だ。合格点も目標点も存在しないテストの勉強みたいに、不毛な話だ。
ということで今日は、「一体何をすれば行動になるのか」について、自分の基準をしっかり作ることを目的として、記事をしたためてみようと思う。
「行動」を紐解く。
【行動】という言葉をまずは辞書的な意味から考えてみよう。その意味合いはシンプルながら、深い示唆をそこから感じ取れる。
1 あることを
として、 に何かをすること。行い。「具体的な—を起こす」「—を共にする」「 で考えて—する」「—力」
2 心理学で、
から観察可能な人間や の をいう。
ここで気付くのが、「行動」は「実現」や「達成」ではなく、途上の意味合いがとても強いというものだ。
実際この考え方は英語でも通じており、「action」を英英辞書で引くと、こう紹介されている。
the process of doing something, especially in order to achieve a particular thing
意訳:何かをするための過程。特に、ある特有の事柄を達成するため。
つまり、「とっとと行動しろ!」という言葉の意味合いをより正確に言うのなら、「とっとと着手しろ!」という方が良いのではないかと思われる。
では続いて、これを基に、成功するためにはとにかく行動が必要とされることの本質を考えてみたい。
ただしここからについては、【観察力の鍛え方】を始め、色々な本やインタビューで指摘されている、いわばいい意味で手垢だらけの話だった。
それを僕なりに乱暴な要約で伝えてみる。行動とは、すなわち目的に向かって、実験、観察、検証のサイクルを回し始めることである。
「とりあえず」やってみる。「できることを」やってみる。「まず」手を付ける。少なくとも第一歩目に当たる行為によって、現在地から少しは動くことができる。
行動とは、単に新しいデータや経験値を得る手段の一つである。ゆえに、そのいちいちに失敗や成功なんて評価を下すのは、あまりにも短絡的すぎる。そう説く本も多い。
これは同時に、新しいデータや経験値に繋がっていれば、身体的動作が伴っていなかろうが、それは行動なのだと言えるのではないか。
未来の物事に対処するためには、過去の延長と現実におけるデータの乖離をいち早く察知して修正する必要がある。そのためには、行動によってデータを集めねばならない。
このことは、逆に「行動していないとはどういうことか」を考えてみても浮き彫りになる。(これも厳密には、「何もしないという選択・行動」をしているのだが、割愛する)
このとき、仮説の検証や観察のサイクルは、その一切が回っていない。何か運が良いことが起きて、現状が好転するのに賭けているだけの状態だ。
これならばいっそ、時代錯誤になりつつあると言われているPDCAサイクルを回す方がマシだと言える。こういう思考の人に組織を託すのは、極めて危うい。
将棋でいうなら、いいから一手指すのも行動だし、頭の中でシミュレーションするのもそうだ。現時点から、少しでも前に進めること。これが行動と言えるのではないか。
ようやっと行動の意味合いが、僕の中で論理的に腹落ちした。皆様を置いていっている点も多々あるだろうが、僕は納得したのでそれでいいと思うことにする。
まとめ。
繰り返しになるが、行動によるサイクルをうまく回すには、そのいちいちを成功だの失敗だの恥だの説明責任果たせだのとジャッジしないことが要になる。
少なくとも自分が自分にそうすべきではないだろう。清廉潔白であることは、つまり変化に適応せずに滅びろというのに等しい。危険極まりない。
改めて念押しすると、行動とは達成ではない。達成に向けて観察や検証といったサイクルを回し、それを早めていくプロセス自体を指し示すのだ。僕はそう思っている。
そのために採れる最速の”行動”は、手持ちの武器で、いくら距離が遠かろうが、目的に向けて何かアクションを行うことだ。
例えば最新の道具一式が手に入ったら野球の練習を始めるのではなく、知人や中古ショップを活用してまずは道具を手に入れることを考えるとか。
或いは筋トレのためにはダンベルが必要だと考えて、まずはアルバイトをする・・のではなく、腕立て伏せ・腹筋・背筋から始めるとか。
机上で得たモノも大事だが、その前に「遊」の段階を通じて、経験値やデータを得ることに重点を置き、グルグルと回す方が伸びそうに思う。
僕は行動が遅いとずっと言われているが、少なくともそれは半分正しくて、半分間違ってるという確信は得られた。一応前に進めようとはし続けているからだ。
となれば次の目標は、行動が遅いと言われる比率を減らすことで、そのために今できることは、とりあえず溜まっている雑用をちゃっちゃと終わらせることかな。
そういう風にしてサイクルを回すことこそ、つまり行動なのだ。あらゆる物事がちゃんとプロセスに至っているか?そのことは組織全体の規模で自問自答し続けたい。
今日はこの辺で。