精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「自分を信じるのは2回までルール」がそこそこ機能しているのでシェア。

自分で言うのもなんだが、僕は自分で自分に色々なルールを設定して生きている。これはひろゆき氏の【無敵の思考】の受け売りで、気付けば日課になっていたものだ。

 

その中でも、最近凄く自分にしっくり来ているものがある。それは、「自分を信じる回数は、最大で2回までにする」というものだ。

 

 これはどういうことなのか、自分の考え事の整理も兼ねて、簡単に説明する。

 

 

気合や根性で何とかなるかならないかの見極めは、2回目でいい。

 

新しい習慣や挑戦を始める際、特にどうしていいかという経験則もない以上、気合や根性だけでなんとかしようとすることが多いと思う。つまり手探りだ。

 

しかし、それだけではなかなか成功しづらい。稀にたまたますっぽり収まることもあるが、それはやはり例外である。

 

例えば、早起きを続けたいと思っても、”気合い!”だけで早起きを継続するのは無茶苦茶難しい。1日くらいなんとかなっても、2~3日もすれば元通りなんてのはザラだ。

 

僕もそういう根性論の限界には少し悩んでいた。その上、根性論一辺倒で、工夫を一切していない自分に対して無自覚であるという矛盾にも、頭を抱えていた

 

自分が工夫をしているかいないかは、意外と認識するのが難しい単なる同じミスの繰り返しを、「雨垂れ石を穿つ」と解釈して、放置していることもままあるくらいだ。

 

そこで試してみたのが、表題にも書いた「自分を信じるのは2回までルール」だ。手前味噌だが、これが結構イイ。

 

例えば、2日連続で本来起きたかった時間から寝坊した場合、必ず新しい工夫をすることを自分に決める。カーテンを少し開ける、目覚ましを遠ざける、等々。

 

それらも機能しなかったら、そもそも入眠時のルーティンを変えるとか、いっそ早起きする目的から疑ってみるとか、とにかく「次、次、次!」でアクションする

 

何もしないとは、現状の手を続けるという選択を採ることだ。それで変化が無いのなら別の手を選ぶべき。これを頭でやるのが難しいなら、ルールで決めればいい次第。

 

こんな風に、様子見にラインを設けることが、今のところ、僕にとっては上手く機能している。まだこれを始めて数日程度なのだが、すごく調子がいい。何より楽しい。

 

さて。「自分を信じる」と評すればその響きは大変良いのだが、それがただひたすら、行動を変えずに同じアプローチを繰り返しているだけだとしたら、どうだろう

 

繰り返せば近付けるはずなのに、望む成果に延々と近づけていない場合、それはアプローチに何か問題があることの証明だろう。

 

その際に、修正自体をシステム化しておけるかどうか。組織に落とし込む前に、まず個人で実験しておくことは、それ自体とても有益だ。

 

もちろん、その人の個性や、目指す目標の度合いによっては、同じアプローチで3回や4回まで許容することもあっていいと思う。

 

ただし、僕の場合は、2回がちょうど良い。ただそれだけだ。ちなみに今は、「目覚めてから30分以内に布団から出ること」に2連続で失敗しているので、テコ入れ予定だ。

 

この考え方は、まだまだブラッシュアップが必要なのに違いは無いが、活用次第では日頃の勉強や仕事にも応用できるかもしれない。

 

そう思って急ぎ記事にしたわけだが、どうだろうか。何か少しでもヒントになりそうなことが含まれていれば嬉しい。

 

では今日はこの辺で。

 

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