精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【英文読書ルーティン日記162】"THE GREAT UNKNOWN"読書感想ブログ25 ~無限を覗くなら・・~

子どもの頃、すごくアホな問答を友達と繰り返した。「こんな美味しい駄菓子なら無限に食える!」とか、「1無量大数回プレイしたい!」とか。

 

とにかくデカくて、面白い単位。当時はそう思っていたが、今はその本当の意味を考えるにつれ、すごく不気味な感想を持つように変わってきている。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

偶数は無限にある。奇数は無限にある。偶数と奇数の総数を足し合わせたら無限になる。論理的でありながら頭がおかしくなる世界。

 

しかしそうやって意識を別世界に置いておくことで、現実の見え方も変わるように思う。今週もメタ認知をしっかり獲得する旅に、頑張って出ることとする。

 

 

1月22日(月) 「この命題は偽である」。

 

数学の公理に矛盾がないことは証明できない。当時の数学者に激震が走ったというゲーデルの発見は、本当にそれまでを破壊し得る発見だったのか。

 

ヒルベルトの夢である数学の無矛盾性は否定的証明となってしまったが、では数学自体を無益とすることにそれは繋がるのだろうか。

 

それもまた極論だ。今日も世界は多くの部分で、数式に則って記述でき、そして読み取ることもできる。

 

それに門外漢からすれば、「つまりわからない」なので、さほど気にすべき問題でもない。僕はその程度にしか考えていなかったりする。

 

1月23日(火) 無限、有限、エトセトラ。

 

カオス理論を学べば、未来が予測不可能であることに、この上なく強い納得感を得られる。

 

無限を学べば、知ることができない領域にまで意識を拡大でき、現状をより俯瞰しやすくなる

 

論理や数学を飛び越えて、それぞれの観点から現状を見れるようになると、現実がまた異なった姿をかたどっていく印象を強く持つ。

 

日々学ぶことは面白くなるのに、だからこそ僕の命が有限であることがなんか悔しい。でもそこはガンジーの言葉を思い出して、腐らぬように踏み留まりたい。

 

「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。」

 

なんと示唆に富む言葉だろうか。

 

1月24日(水) 無限、有限、エトセトラ。

 

無限という問いを、有限な人間の能力に押し込めて考えることは不可能だ。ざっくり19世紀まではそう考えられていたという。

 

しかしそこに果敢に切り込んだ人が居て、結果今は、ただの「話のネタ」以上の価値を持つようになっているとのことだ。

 

無限とは神の力。そこを疑えば処刑さえあり得た時代でも、思索を止むこと無く続けた人達。

 

その好奇心の強さには、本当に驚くし、憧れている。

 

1月25日(木) 無限、有限、エトセトラ。

 

無限とは本当につかみどころがない。もう何度書いたか分からない話だが、それがまた続くので仕方ない。

 

例えば、整数は無限にある。元の数を2倍にした数も無限にある。ここまでなら納得できる。

 

しかしそれらの数同士で、さながらペアを作るよう銘じたら、どちらの陣営も余すこと無く組めるという話は妙な響きだ。

 

昔、哲学と数学はとても近いところにある学問だったという。それも納得できるくらい、計算というより哲学や神性を帯びた話だと思えてならない。

 

1月26日(金) 無限を有限で理解する限界。

 

円周率は無限に展開する。対数の底も無限に展開する。√2も無限に展開する。偶数は無限にあるし、奇数も無限にある。となれば分数も無限にあるし、小数なら尚更だ。

 

どれもこれも僕らが暮らす社会の現象いずれとも相容れない。命は必ず尽きるし、五十億年後には太陽も消える。

 

ただこれは逆説的に、真の無限を意識することで、目の前の有限に気付けるという示唆ではないか

 

数と戯れる素質のない僕は、とりあえずそれでお茶を濁すことにする。

 

1月27日(土) 狂気と隣合わせの歓喜

 

無限は無限に存在する。更に頭がおかしくなりそうな話が、また飛び出してきた。

 

素数、整数、円周率、√2の展開、対数の底……そういった風に無限に続くものもまた、無限にある、と。

 

この発見をしたカントールを、大家ヒルベルトは激賞し、筆者も好意的に同意していたのが印象的だ。

 

「神の領域に触れた」とさえ称されるこの業績、僕は、狂気と隣り合わせだなぁという恐れも、どこかに感じている。

 

1月28日(日) 狂気の世界へ。

 

カントールのこの発想は、ヒルベルトにこそ激賞されたが、同時代の他の数学者からはメタクソに非難されたようである。

 

その中にはカントール自身が敬愛していた数学者もいたという。更にそこへ身内の死別などの精神的負担が重なり、遂に彼は精神を病んでしまったのだ。

 

数学の真理を除いた者は、狂人扱いされ、その評価は後世の、その人が消えた後にされるという皮肉ガリレオコペルニクスも誰も彼も、不気味なまでにそうだ。

 

数学を創ったのは神なのか、悪魔なのか。僕はむしろ悪魔なのではないかと、薄々感じている。

 

では今週はこの辺で。

 

 

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