ある現象の仕組みを知りたいと思った。だから数学といった武器を使い、計算と実証、観察を繰り返し、その精度をひたすらに高めていった。
そして自分が知りたかった謎に辿り着き、興奮した感情を覚えたのも束の間、そこから分岐した大量の謎がまだ転がっていることに気づく。
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ランダム性。カオス。量子力学。そのどれをとっても、自分が生きている間に真理を知ることはないであろう命題が立ち並ぶ。
知識のエッジ。そこは神の領域なのか、それともまだ人間の叡智が届く領域なのだろうか。200ページくらい読んできたが、その端緒にも至らない。
だから今週も、愚直に読んでいくこととしよう。
- 10月16日(月) 無から有を得たなにか。
- 10月17日(火) 目に見えるのに絶対に届かない領域。
- 10月18日(水) 算数は拷問道具ではない。
- 10月19日(木) 宇宙と神。
- 10月20日(金) 三角形が見せてくれる景色。
- 10月21日(土) 未知の天体の見つけ方。
- 10月22日(日) 光は有限なのか、無限なのか。
10月16日(月) 無から有を得たなにか。
究極的なことを言えば、この世に存在するエネルギーは、すべてがなんやかんやで打ち消しあって、プラマイゼロになるのが物理の法則なのだという。
それ自体は考えると何となく納得する。例えば台車に乗った状態で壁を押すと、反対側に進むというイラストを見たことがあるだろう。あんな感じか、と。
しかしとなると、一つ大きな矛盾点に行き当たる。それはビッグバンのときのエネルギーはどこから来たのか、だ。
すべてがプラマイゼロならば、無に有を与えた存在とは何だったのか。考えれば考えるほど、とりあえず僕の手には負えない領域の話となる。
そもそも時間も何も存在しないところから何かが始まるということが全くピンと来ない。ここは人間が立ち入っていい領分ではないのではないか。
そんな風にも思えてくる。
10月17日(火) 目に見えるのに絶対に届かない領域。
宇宙。男女問わず一度はその存在を訝しがった、巨大にして絶対に手が届かない観察の対象ではないかと思う。次の章は、そんな【宇宙】がテーマだった。
例えば、宇宙に果てはあるのだろうか。宇宙空間を一直線に進んでいけば、どこかに僕らは到達するのだろうか。壁に跳ね返されるときは来るのだろうか。
考えても考えても興味は尽きないが、手が届かないという性質上、観測や実験にも限界がある。こここそまさに、神が住む場所と聞いても納得のエリアである。
10月18日(水) 算数は拷問道具ではない。
算数は教室を拷問室に変えるというウィットに富んだジョークが面白かった。しかし元々は、あらゆるものを数え、測定するために発達した学問だとされる。
実は古代ギリシャ(BC3世紀くらい)の人たちも、空の観察と算数による計算によって、現代の数値とも近い精度で、月や太陽までの距離や直径を知っていたとされる。
ちなみにそこで使われていたのは、いわゆる三平方の定理である。興味がある人は、以下のサイトを見てみると、面白いのではないかと思う。
10月19日(木) 宇宙と神。
宗教が持っていた力の大きさは、西暦1500年代の話を聞くと、もはや狂っていると言えるほど強かったように思う。
例えば聖書を否定するような発言をしたがために火炙りの刑に処される、とか。今であればとんでもない話だ。Xから毎日数百人ずつ人が消されていくだろう。
そんな時代の宇宙の考え方は、極めて論理的ではあるが、すごく循環論法のように聞こえて、どこかにしこりを感じてしまう。
宇宙は無限だ。なぜなら、神が創ったからだ。創造主である神は、我らの理解が及ばない存在、つまり無限だ。無限の方が創りし世界が、有限であるものか?
・・・うーむ。しかしここから感じ取れることは、こうでもしないと説明がつかないくらい、宇宙とは当時の人から見ても意味不明な存在だった、ということだろうか。
そういう意味では、親近感のようなものを、覚えなくもない。
10月20日(金) 三角形が見せてくれる景色。
今でも覚えているが、高校入試の数学は、三角形の合同の証明が一行も書けず、それで思い切り動揺し、本番では20点も取れなかった。以来、この図形が嫌いだった。
しかし高校の頃は三角比が不思議と得意で、過去問や予想問題を解いても、調子が良ければ20点前後取れるほどに鍛えることができた時期もある。
迎えたセンター本番。斜辺の長さを取り違えて数値が出ず、得意な三角比で大失点。その日は帰ってから、疲労とショックで熱を出したのをまだ覚えている。
人生の大舞台で二度も裏切られたことになり、三角形の方が、僕のことを嫌いなのかと思わされる。
そんな僕の天敵たる三角形だが、実は望遠鏡以上の景色を見せうる武器になるそうだ。地球から月、地球から太陽、そこまでの距離はなんと、三角形の性質を利用している。
合同、相似、錯覚、三角比。得られたデータにこれらを組み合わせることで、遥か彼方に存在する天体までの距離を見通すことができる。
天文学と数学がかなり密接につながっているのも納得できる、最強の武器だと考えて差し支えなさそうである。
10月21日(土) 未知の天体の見つけ方。
未知の天体を発見する方法は大きく分けて2つあるという。1つは運任せ、もう1つは数学を使うことだ。
初期の天体観測においては、どこに未知の惑星があるか等、これは運ゲーものだ。数学的に考察しようにも、あまりにも材料が少ないためだ。
しかし一定数のデータが集まると、運任せに夜空を眺めるのではなく、数式と格闘する方に軍配が上がるという。
実際、ある天体が姿を消した際、次にそれがいつどこに現れるかを予言し的中させた人こそが、天才数学者ガウスその人だったりする。
数式を駆使すれば望遠鏡に見えない世界が見える。なんとカッコイイ話だろう。
10月22日(日) 光は有限なのか、無限なのか。
光に速度はあるのか。この問いは、ある種の答えを知っている今だと「当たり前だろ」と言いたくなるが、何もヒントがない中では、それを疑う方が難しい。
光とは常にあるものであり、目を開けた瞬間飛び込んでくるもの。どこかからどこかへ飛んでいくものではないはずだ。
ガリレオも光が有限であることには懐疑的で、その差を検知する実験を考案したことがあるそうだが、二人の距離が近すぎて、有意な数値は得られなかったという。
光には有限の速度がある。それを発見した最たるツールは、観測と数学のミックスであった。月食・日食の時間差を基に、光の速度が有限だと弾き出したのだ。
光は有限の速度を持つとは、どういうことか。例えば僕らが見ている太陽の姿は、8分20秒前のものである。
これ自体、なかなか納得できない、直感に反する話だといえるのだが。しかし、僕らは過去の姿を見ることができるという、疑似タイムマシンを満喫できるともいえる。
夜空の見方がまた一つ変わりそうなエピソードだと思う。
では今週はこの辺で。