精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

僕が思う、「父親」に向いている人。

僕は僕のことを、人の親になるには不適合な人間だと考えている。別に卑下しているわけではなく、色々アウトプットした己を見つめて、素直にそう感じるだけである。


一方、僕から見て、独身だけどきっと父親に向いているなぁと思う友人が、ちらほらいる。

 

ただし、その理由や根拠は、そういえば言葉にしたことがない。もしかしたら何か面白い気付きが得られるかもしれない。

 

今日はそんな、僕が思う「父親に向いている人」の特徴をまとめておく。

 

 

30年前の理想像というファントムの対極に位置する人たち。

 

僕が考えるに、父親に向いていると感じる人たちは、押しなべて好奇心が強く、言葉を選ばずに言えば、稚気に富んでいる

 

つまりみんな子供っぽいというそれだけなのだが、今の社会状況を見ると、それはむしろ、とてもポジティブな要素だと感じている。

 

具体的には、彼らは2年後や3年後のことをあまり考えず、その場、そのときの自分の心の声に忠実に考え、そして行動する

 

それゆえ、いつ話を聞いても何か新しいことに興味を持っており、常に変化を求める傾向がある。いわば、無意識下でマンネリを嫌っているのだ。

 

こういう人たちは、よく女性向け雑誌のアンケートでみかける、「大人びていて、安定していて、リードしてくれる、クールなオトナ」とは真反対だと言える。

 

だが僕はどうしても、こういった言動や思考ができるこの人たちこそ、父親に向いていると思えて仕方がない。無責任だが、早く子どもができないかな、とさえ思っている。

 

「普通の夫」神話は何から生まれたか。

 

―ちょっと脱線するが、いわゆる理想のダンナ像というのは、何がルーツになるのだろうか。僕は、子どもの頃に何を理想としてきたかに、かなり由来すると感じている。

 

例えば、その発言が本にまとまるほどのキャラクターに、「野原ひろし」がいる。この人の暮らしこそ、”普通でありふれた家庭の理想像”だと思う人は多い。

 

だが、彼のステータスを並べ立てると、実はとんでもなくハイスペックなのをご存じだろうか?まず、35歳の時点で専業主婦・子ども二人・犬を単身で養えている

 

更にマイホームを建てているし、係長というポジションにも就いている。余談だが、業種によるものの、係長ポジションの人の平均年齢は男性で45歳ほどだ。

 

厚生労働省が行った令和2年度の調査によると、管理職(係長、課長、部長)の平均年齢は、係長が約45歳(男性:44.8歳、女性:45.7歳)、課長が約49歳(男性:48.5歳、女性:49.0歳)、部長で約52歳(男性:52.9歳、女性:52.2歳)です*¹。

 

https://jp.indeed.com/career-advice/career-development/how-old-to-be-promoted-managerial-position-skills-required-for-promotion#:~:text=%E5%8E%9A%E7%94%9F%E5%8A%B4%E5%83%8D%E7%9C%81%E3%81%8C%E8%A1%8C%E3%81%A3%E3%81%9F,52.2%E6%AD%B3%EF%BC%89%E3%81%A7%E3%81%99*%C2%B9%E3%80%82

 

安月給なんてトンデモナイ。ひろしの年収は一説には600万円ほどらしいが、これは平均収入上位22%くらいである。(ちなみに年収600万の”独身男性”は32人に1人らしい)

 

―やはり、ある意味「普通」とされる条件(この言い方は大嫌いだが)は、異常なものだとよくわかる。だがこれはもはや神話であり、だからこそ婚活でチヤホヤされるのだと思う。

 

僕は今32歳だが、3年後に新居など建てられるわけが無い。どんなIFストーリーに派生しようが、その僕もひろしのような人生を送れている気がしないわけである。

 

とはいえ、クレヨンしんちゃんの連載開始時期は1990年だというから、これはつまりバブル崩壊後で、皆がこぞって”安定”を求めた頃と重なる。

 

その時代の理想像が今まで続いているのは面白いのだが、僕は安定志向が強すぎる人ほど、現代社会ではハンデを背負うのではと、少し危惧している。

 

父親2.0とは。

【LIFE SHIFT】を読むとよくわかるが、引退とキャリアチェンジはスポーツ選手限定の話ではなく、皆等しく直面するであろう未来だ。

 

例えば公務員が今のまま50年後も残っているかと言われれば、少なくとも”今のまま”ではないと感じている。

 

定年退職を65歳でして、その後90歳で死ぬとすれば、その25年を無職の状態で過ごせるのだろうか。僕は不可能だと思う。

 

新たな仕事に就く、新たなコミュニティに属す、新たなスキルを得て新たな価値を社会にもたらし、対価を得る。それに逆らえば逆らうほど、孤立し、寂しい晩年となる。

 

実際、ここ数年で顕著になってきているのは、不安定を面白いと思える人の強さだ。皮肉なものだが、安定を嫌う人の中には、なんだかんだで富を成している人も多い。

 

だからこそ僕は、その要素を持つ好奇心が強い人たち程、積極的にその価値観を後世に伝えてほしいなと思っている。父親になってほしいな、と。

 

ただ、類友だろうけど、彼らは押しなべて、結婚によって自分の人生が制限されることを大体嫌っている。買い物一つで妻や子の意見が入ってくるなど耐えられない、と。

 

彼らは人生における己の裁量をとても大切にしている。それゆえ、言葉を選ばずに言えば、旧態依然とした結婚という制度に、どこか否定的な考えを持っている。

 

本当に皮肉だが、好奇心や変化の歓迎という思考は、安定と相容れないのだ。ならばせめて、彼らには教育に関わってほしいと、僕はちょっぴり考えている。

 

まとめよう。僕が思う、父親に向いている人は、子供っぽさと好奇心が強いという特徴を持っている

 

だから彼らは変化に柔軟に対応し、現代の社会に適応できる能力が高い。「変わらない」のではなく、「変われる」ことが、一番安定に繋がるようにさえ思う。

 

さらにその好奇心は、幼子が持つそれと負けず劣らずの水準だ。だからお互いヒントを与え、与えられ、そんな関係性になれると思う。

 

ダンゴムシに興味を持つ子供に「ばっちい!」と言って頭ごなしに叱るのではなく、「じゃあ観察しようか」と提案し、子ども以上に情熱を持って飼育できる大人。

 

つくづく、そういう人こそもっと家庭を持つと面白いのになと思わされる。まぁ、だからこそ、彼らはそんな選択を避けちゃうのだろうけれど。

 

ということで今日はこの辺で。

 

 

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