事あるごとに「引退」とこのブログでは書き散らしているが、その現状は、お世辞にも前進しているとは言い難いところがある。
時折、この信念が揺らぎそうな考えが頭に浮かぶ。「無理に引退せず、このままで良いのではないか」「成り行きに任せればいいのではないか」などなど。
ただ、自分の存在を前提とした組織は、脆弱でしかない。僕はビジョナリー・カンパニーがいうところの、時計を作る人になりたいのだ。
だから意識的に俯瞰して、そのような声に負けないように、33歳になる今年度で引退に向けた準備を急ピッチで進めていこうと意を強くしている。
・・・その想いは変わっていないのだが、最近どうも、「引退」という言葉は僕の想いをきちんと汲んでいないのでは、という違和感を覚えるようになっている。
何より、強く誤解を招くことが多い。引退とは退職であり、講師を辞めるとは今の仕事を辞すこととイコール。そう思われて、周りから引き留められることもある。
実を言うと、僕は塾講師そのものを辞める気はさらさらない。だが、今のような、自分が誰よりも授業をする働き方は辞めたいと思っている。
この辺りをどう過不足なく言語化するか。ということで今日は、一度自分で「引退」と名付けたこのプロセスをアンラーンしてみた備忘録をまとめておく。
「引退」よりしっくりくる言葉を探して。
「引退」という言葉を辞書で引くと、こう書いてある。
[名](スル)やから身を退くこと。スポーツなどでから退くこと。「スターが—する」「—」
こうやって見つめると、確かに違和感がある。なぜかと言うと、僕は別に退くのではなく、新しく見えた目的のために区切りをつけて前進したいというのが本音だからだ。
これ自体何かバイアスを感じるが、僕は今更他業種への転職をしたいわけではない。年齢的に公務員は無理だし、あまり興味も覚えていない。
目標は数年前から変わっていない。独立だ。僕の理念を形にしつつ、利益を出せるような場所を創りたい。青臭いが、この想いは全く変化しない。いい意味で、だ。
逆算思考にも限界はあるが、独立のためにはまず、”今のポジション”で結果を出す必要がある。シンプルに、どの支店よりも、利益・生徒数を叩き出すことだ。
そしてそのために、自分がコマとして陣頭に立つのが経営上の最適解なのかを考えたとき、プレイヤーとマネージャーの二足の草鞋は厳しいと思ったのが起点である。
では、どちらかを選ぶとしたら、僕はどっちを選ぶ方が良いのか。1年くらい考えて、出た結論こそ、自分はマネージャーになりたいということだった。
もちろん、楽をしたいという論外な目的ではない。直接知識を手渡しするのではなく、より多くの人がより多くの生徒へ知識を手渡しする場を創りたいと思ったからだ。
塾講師という仕事自体は好きだ。だが、この仕事を続けるためには、僕は教えること全フリという立場を離れ、働き方を更新する必要があると納得している。
しかし、ここまで考えたところで、一層「引退」という言葉が持つ違和感が強まった。
今僕が居なくなることは、とてつもない無責任さを持つからだ。
仮に僕が明日死ねば、明後日からこの校舎はどうなるだろう。僕が自覚していないところで、確実にブラックボックスは存在する。それが時限爆弾みたいになる気がする。
このリスクを考えても、「引退」という言葉はやはり、僕のしたいことを表すものとして不十分だ。では、何がもっとしっくりくるのだろう。
そんな折にふと、藤田晋氏がブログで、「引き際」について記事を書いていたのを思い出した。今なら違う感想を持つかもしれない。そう思って読み返してみた。
すると、藤田氏は「引退」という言葉を全く使っていなかった。その代わり、「継承」や「引継ぎ」という言葉で、その進退を表現しているのに気付いた。
―瞬間、ピンとくるものがあった。「引退」という言葉は、すごく独り善がりだ。文脈によるだろうが、どうしても自分勝手なにおいがそこからするように思う。
つまり、「引退」という言葉は不正確というより、あまりも解像度が低い。だからもっと、細分化して考えた方が良さそうだ。
僕が講師を退くためには、僕に代わって指導を主とする人が要る。そのためには、そうすることが最適解となるような環境を創ることがマストだ。
手っ取り早く言えば、今以上に規模を拡大する。運営と指導を分担しなければならないほど、コミュニティを大きくすることが、いわば必要条件だろう。
ここで、西野亮廣氏のVoicyを基にしたブログ記事を思い出した。組織の大きさは、リーダーの器に比例するという話だ。なんと背筋が伸びる指摘だろう。
「リーダーの条件」、「齋藤一人の道は開ける」、「リーダーの仮面」。そういった色々な本で説かれていた教えが、次々と繋がってくる。
暫定解だが、僕が取り組むべき中長期の目標が更新されたので、改めて言葉にする。
僕が”居なくても”機能するコミュニティを創ること。
その場から消えるのではなく、居なくても回る状態を構築することで、目的を果たす。引退というより、継承と呼称する方が、やはり僕のしたいことに近いと思う。
そのためには人を育てねばならないが、まずそもそも人を集めることが先決で、そのためにはまず雇用、つまり仕事が必要だ。仕事量は、事業の規模に比例する。
ドミノの一枚目はつまるところ、とっととカネになる仕事自体を創造しろ、ということだろう。すごくシンプルな話だ。だが、強い納得感がそこに在る。
同時にサブクエストとして、僕自身の【器】をデカくしていくことも必要になる。30歳を過ぎてこんな青臭いことに取り組む必要が出るとは、驚きだ。
まずは田中角栄氏の発言集でも読み込んでみようかな。【器】は技術、学んで真似して鍛えることが可能らしいしな。
僕がサッサと居なくなるのではなく、居なくても回るコミュニティを創る。自分が必須じゃない世界は、多分今より素晴らしいのだろうと信じて。
ということで今日はこの辺で。