昨日の記事を書くためにあれこれと考える中で、僕にとってある種理想的な働き方・生き方を具現化した場所は、多分美術館であるということに気付いた。
羽生善治氏の言い方を借りればこれはただの”閃き”だ。なぜそう思ったか、全然説明ができない。もしかしたら荒唐無稽な仮説かもしれない。
だが他に、思索の起点になりそうなものは無い。だからここから改めて始めることにする。ということでとりあえず、美術館の館長になられた方のインタビューを読んだ。
時間が無くて一読しただけなのだが、それだけでも、強く共感を覚える考え方や、僕の内面を見つめ直すヒントになりそうな言葉にたくさん出会えている。
どうやらこの閃きは、幾分後々で説明ができそうな「直感」という方が正しかったようだ。それはすごく、嬉しい話である。
ということで今日は、美術館で働く人の考えを色々と調べ、かつそれを整理しながら、さらに僕の「やりたいこと」の精度を高めていきたいと思う。
僕はなぜ「美術館」を創る人の考え方に共鳴するのだろう。
我ながら不思議なのだが、僕は別に美術館に縁があるわけではない。最初に訪れたのは小6の頃で、以来30歳を過ぎるまで、再訪することは無かった。
しかし大人になって改めて訪れてみると、やはり素敵な空間だと思えたし、僕が創りたい場所の要素を多分に含んでいるような気がしてならない。
だから気になるのは、それを創って維持している人たちの考え方だ。とりあえず時間が許す限り探してみたが、これがなかなか、面白い。
先ほどのインタビュー内でも、以下の部分にすごく、「僕の理想の”在り方”」を感じ取った。
東京を離れて気づくのは 、学芸員たちを含めた館内の空気も東京にあるエッジーな美術館とは少し違って、なんとなくゆったりしている。
私は着任してから全学芸員と面談をし、それぞれがやりたいことやこれまでの経験値を確認しました。よき人材もいるしハコもあるし、予算も相応にある。
だったら私はそれをとりまとめる「羊飼い」業に専念すればよいのです。
僕が先陣を切り、顔役となって組織を盛り上げるのではない。むしろ、そこにいる僕以外の全員が、いわば主役になれる空間。僕はそういう場所を、確かに創りたい。
更に思考を動かすべく、そこからさらに3~4つのインタビューを読んでみた。そのうち、一つ気づいたことがある。それは、全員極めて個性的であることだ。
見た目もそうだし、その考え方もそうだ。もちろん造詣の深さもあるし、どうすればそれを表現しつくせるかという問いに答えることにも貪欲という印象を受けた。
そしてもう一つ気づいたこと。それは、美術館は意外と流動的であるというものだ。実はコロッと忘れていたが、美術館には「特別展」というものがある。
期間限定でテーマを絞り、他の機関と連携するなどして、美術品を一つの場所に集める。そこには新たな世界観が誕生することになるが、いずれそれも消えていく。
定常しているように見えて、実は変化に富んだ場所。他者からのメッセージにたくさん触れられる場所。そして自分の学びを転化し、共有できる場所。
それらすべてを満たすのが美術館という場所という認識だ。僕の中でかなり粗削りだが、「したいこと」が大幅に更新されたのを感じる。
しかし、結果としてとんでもない難題が現出することになった。
美術館が果たしている役割を、学習塾というハコで、しかもそのビジネスに求められるニーズを満たしながら、社会に貢献できる形で、どう取り込むか?
こんな問いに答えなどあるわけがない。だから自分にしっくりくる答えを絞り出し、現実をそれに合わせていくしかないように思う。
そんなとき、そもそも美術館の館長の仕事は具体的に何なのか、ふと気になった。そこで調べて出てきたものが、個人的に目からウロコな内容であった。
そして、特にこの部分である。
私たちは、館長室には立派な椅子があって、館長はそこに座って書類を読んだりしているイメージがあるのですが、実際はどのような仕事をされているのですか?
→椅子はあるんですけどね、実際はあまり座っている時間がないんですよ(笑)
例えばですが、 日本各地の館長が集まる会議に出席し、様々な館の企画や展覧会情報の収集をしたり、美術館に関わる会合などで、これからの美術館についてや今後の見通しについて意見交換をしたりします。
また、国内はもちろんヨーロッパをはじめ海外の国や地域へ、美術作品の貸し借りの交渉に出かけます。どの作品を借りるのかはもちろんのこと、梱包方法から搬出方法に至るまで、しっかり決めてきます。
西美の作品が他の美術館(展覧会)へ貸し出される時は、搬送方法や保護方法の計画と交渉などの打ち合わせをします。大事な作品なのでお互いきめ細かく打ち合わせするんですよ。
素晴らしい場所を創るため、その外を走り回り、支える。自分ではなく、場所、コミュニティ、所蔵する作品を全面に出す。自分の好きを色濃く反映させる。
こういった働き方を思い浮かべたとき、僕の中に強い「これだ!!」感が湧いてきた。
何のために働くか。ビジネスであればそんな問いの答えは決まり切っている。「顧客」だ。だが、さらにその先を考えると、僕の答えは少し変わる。
僕はコミュニティのために働きたい。これを言葉にすると、やはり納得感がある。特定の人ではなく、場のために僕は在りたい。
ただし一つでも答えらしきものが出ると、問いはそこからポコポコと湧いてくる。「創りたい場所とはなにか?」「それをどう伝えるか?」等々。
しかし、今までになく指針になりそうな言葉に出会えたのは違いない。僕はコミュニティのために働きたい。場のために僕は在りたい。
その観点から、僕の心に刺さった選択肢や言葉を並べていく。
独立。講師からの引退。時計を作る人。学びの共有。コミュニティ論。世界観。
なるほど、つながりが見える気がする。だが言葉にするには、まだまだ程遠いとも思う。あと何回自問自答を繰り返せば、そこにたどり着けるのか。本当に未知数だ。
学びは尽きない。だから面白いと思う。そう考えるしかないだろうな、と。
ということでやや尻切れトンボだが、今日はこの辺で。