試験範囲が決まっている定期テストと違い、いわゆる広義の「学び」は、どこまで行っても無限に発散するように思う。
わからないことがあるから調べる。すると、また新しい未知の事柄に出くわす。これを繰り返していくと、学びの終わりは全く無いことに、自然と気づく。
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問いを確かめて解を得ると、その解がまた新たな問いを創る。このループはうんざりするものなのだろうか。
今のところ、僕はこのループを楽しんでいる。なんなら、有難いとさえ感じている。だが、このループに辟易し、抜けてしまった人も多くいる。
その人たちは悲しいかな、時代遅れと評されながら、過去や自分たちを美化することに執心しているように思う。
こころのKではないが、「道」をひたすら進み、その途上でこと切れるのが僕の理想と言えば理想である。だから今回も、未知が広がることを喜びながら、読み進めたい。
- 2月5日(月) 証明不可能だと証明できたからOK!・・・・?
- 2月6日(火) 知ること≒安定すること
- 2月7日(水) 世界が見えないときに見える世界
- 2月8日(木) 「わかる」という暴論。
- 2月9日(金) わからなさを慈しんで生きる。
- 2月10日(土) 読了。
- 2月11日(日) 次の本。
2月5日(月) 証明不可能だと証明できたからOK!・・・・?
僕は5年後、生きているか死んでいる。そしてそれは今の時点では不可知である。
さて。この命題は真か、偽か。これ自体実は、ややトリッキーなパラドックスである。実際、論理的はその通りなので、真だ。結論は出た。だから更なる調査は不要だ。
……とだけ書くと、すごく騙された気分になる。証明できない問題というのを別の面から見ると、こうなるらしい。
それにしても、5年後の自分とは、あまりにもifのルートが多すぎて、何一つ具体的なビジョンを描けない。
本当にこの世にいないかもな。むしろそのつもりで生きようかと、ふと思った。
2月6日(火) 知ること≒安定すること
知れば知るほど謎が増える。だから学びは終わらない。それを面白いと取るか、永遠の責め苦と取るか。僕は前者でありたいと強く思う。
そもそも未知の事柄を不安だなんだと思うことは、何一つ心を豊かにしないだろう。そうじゃなく、新たな伸びしろや世界が見えたと考えた方がマシだ。
知っている状態を良しとせず、如何に意識的に知らない状態に戻せるか。アンラーンとラーニングを繰り返し、過去の自分の延長とは違う先に辿り着けるか、どうか。
筆者らは、その旅を数学に託して行っている。記述からもどこかイキイキとした、わからないことが判るようになる喜びや満足度が伝わってくる。
まだ終わっていないこと。まだ知らないこと。その全てを愛せるような僕になりたいと、今日はそんな辛気臭いことを考えてしまった。
2月7日(水) 世界が見えないときに見える世界
人は五感を通じて世界を受容する。しかし、世界を構築する情報が五感で感知できる部分以外にもあるとしたら、どうなるのだろうか。
例えば時折目を持たない生物がいる。そういった生き物は、どうすれば赤外線のような発見をできるといえるだろうか?
虚数しかり、世界には五感で説明仕切れない、摩訶不思議なものが溢れている。四次元はあるのかないのか、それすらわかり得ない。
ホーキング博士は病気によってその身体に精神を閉じ込められたような状態になったが、それによって見えない世界が感じられるようになったようにも思える。
まさに宇宙としか形容できない、広いけど見えない世界の話だと思う。
2月8日(木) 「わかる」という暴論。
人は未知の事柄を恐れる。僕だって、どうなるか解らないものは、どこか不安や恐れを感じてしまう。
しかし世界をカオス理論の観点から眺めると、そもそも予測可能な道を行けるという前提がズレている気がしてくる。
例えば今日、僕が通勤ルートを変えることで、その日に事故死するフラグを回避できるかもしれない。その一方で、来週に大怪我を負うフラグが立ってしまうかもしれない。
世界は巨大なネットワークであり、その点の一つ一つが一瞬も休まること無く影響を及ぼしあっている。
それを読みきることなど絶対にできない。分からないことは本来、死と同じで、当たり前だが自覚困難な対象に過ぎないのだと捉えている。
2月9日(金) わからなさを慈しんで生きる。
この世はそもそも不確実性に満ちている。既知と未知が混在し、そして未知とは大抵、自覚すらなされていないものだ。
わからないものをわかりたいから、色々な学問が生まれ、探求は深まった。科学も数学も、全ては「知りたい」がスタートなのだ。
他者の意識や思考はわからない。だけど知りたい。だから物語や小説はそのために生まれたツールだと、筆者は書いていた。
僕らはわからないことに囲まれている。そしてわからないままであることに我慢することができない。
その状況を楽しめる人というのは、まだ触ったことの無い玩具に囲まれた子供のように世界を感受できるのだの思う。
やはり僕も意識的に、未知を自覚し、遊べるやつでありたい。本書を通じて、強くそう思わされた。
2月10日(土) 読了。
終わりは突然だったが、過去最長となるこの大著をついに読み終えた。
継続は力なりとはよく言ったもので、最初から500ページ強の洋書を読もうとしたら、途中で絶対に折れていた。
ただ、毎日10分くらい、散歩しながら読むことはできる。それを数ヶ月続けただけだ。
英語の読解スキルだけじゃなく、未知という分野に関しての向き合い方や知識も深く学べたように強く思う。特にカオス理論と意識の話は、個人的に特に面白かった。
他にも感想を書きたいと思ったが、その都度思ったことをずっとこうして記事にしていたため、今更何も浮かばないのが本音である。ただただ、充実感があるだけだ。
さて。あまりにも突然終わったので、次の本を何にも考えていない。今日余裕があれば、考えておくこととしよう。
2月11日(日) 次の本。
吉と出るか、凶と出るか。次の本として、全く事前知識を持たず、「あなたへのオススメ」の中でタイトルが面白かったものを買ってみた。(試し読みはしたけど)
Psycho-Logicalとはなかなかにパンチが効いたタイトルだ。ただ冒頭3ページ程度では、この言葉の意味も定義も、全然読み取れない。どんな話に展開するかも未知だ。
だが僕は未知を歓迎し、行き当たりばったりの出会いを学びに変えたいと、先の本を読んで思ったばっかりだ。丁度いい好機である。
また明日から、新鮮な気持ちで読書していくことにする。
では今週はこの辺で。